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 No.629

三輪 薫(みわ かおる)


No.629 『生きる』/自由に生きる 2014/2/5

誰にも束縛されないで自由気ままに生きることが出来たらどんなにいいだろうと思ったことがある。しかし、社会の中で暮らしていて、自由なことがどれだけあるのかはちょっと疑問な点もある。30数歳でフリーになって以来、何処かに勤めなおしたり、所属したりしたことがなく、30数年経った今でもフリーの立場で生きている。しかし、自分を「自由の立場」でいさせることには自己責任が付きまとう。誰かに守られてという安易さは許されず、何か起きたら自分で解決しなければならない。一見自由な立場こそ不自由だとも言えるかも知れない。

今の時代、成功した一部の起業家などは若手でもかなりいるようだ。大手企業に勤めていると制約が多く、やりたいことが自由に出来ず、その夢を適えるためにフリーになったり起業したりと、羽ばたいて行く人達もいる。これは若い人達だけではなく、定年の年齢に近い人達でも会社の方針変更などで本来の仕事を奪われている人の転身もあるようだ。しかし、チャレンジする人達が、全てうまく行くとは限らず、挑戦には危険が伴うことも結構あると思う。

僕がフリーになった頃は、何とかなるだろうとの思いだけでも何とか突っ走ることが出来たようないい時代だったのだろうと思っている。回りの人達や企業なども包容力があったような気がする。自由を求めフリーになっても自分の力などで何処まで出来るかは疑問で、上手くいったときには必ず誰かがいて助けてくれているのが実情である。自由に生きるためにはその辺りのことをよく肝に銘じておかないと人に多大な迷惑を掛けることになる。しかし、フリーで生き続けるには回りに迷惑を掛けてもいいと思える人がどれだけいるかも大事なことのように感じている。自由に生き、暮らすことは、文字で書くような簡単なことではない。

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