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 No.653

三輪 薫(みわ かおる)


No.653 『生きる』/年初に思う、人生の節目と選択 2017/1/1

昨年4月に銀座のキヤノンギャラリーで開催した個展「こころの和いろ」は1976年に初めて開催した個展「道道」(銀座ニコンサロン)から40年目になる写真展でした。塗師の修行を4年で止め、名古屋の専門学校で写真を2年間学んでいたころ、将来は個展を主体に活動する写真家になるとの決心を抱き、卒後上京しました。上京後弟子入りした吉田昭二先生の下では、哲学的な作品創りやコマーシャルフォトの撮影法などを可能な限り身に付けることが出来るよう日々努力していました。プロの世界は何処でも同じと思いますが、師匠はほとんど教えてくれません。作品創りは師匠の身近にいて、その行動を観察し、何気なく交わす会話や、時に先生の写真論などに触れ、個展などでの作品から想像するしかなく、コマーシャルフォトなどは撮影現場で見てその場で覚えるわけです。

結婚後には名古屋で学んでいた本校である教務課に勤務し、7年半の在職中に上記の個展「道道」を開催しました。1982年3月に退職してフリーになったのですが、翌年には2つの個展「奥会津十年一昔」と「瞬光-風景の中の彫刻」を開催し、フリーになって10年間で延べ8回開催しました。以後も同様のペースで個展を開催し続け、昨年開催の「こころの和いろ」で30回を超え、小さな規模で開催したのを含めると35回近くになると思います。その内20回を銀座と有楽町で開催していますが、「こころの和いろ」展は銀座での7年ぶりの開催で、キヤノンギャラリーでは9年ぶりでした。キヤノンのギャラリーでは、2001年に当時銀座5丁目にあったキヤノンサロンで初めて開催し、以後3年毎に2007年の「花逍遙II」展まで続きましたが、2008年、2009年と連続でコンタックスサロンでの個展を開催したこともあり、2010年の開催を見送ってしまいました。日本橋の小津ギャラリーでの「伊勢和紙による写真展」は2009年から2012年まで毎年開催し、毎回点数を増やして伊勢和紙ギャラリーでも巡回展を開催してきました。そのようなこともあってか、はたと気付いた時には3年どころか8年近くも経っていて、あわてて申し込み、今回の開催になりました。

10代のころ初めてレンズ交換式の一眼レフカメラを入手したのがキヤノン製で、その後もフリーになるまでの小型カメラはキヤノンがメインでした。一時期キヤノンF1などのボディーを8台くらい所有し、FDシリーズの交換レンズも数多く使い分けていました。フリーになってからはハッセルブラッドで撮った画像と同様の結果を得たいと同じツァイスレンズのコンタックスを常用することになり、その結果、1985年以降、銀座5丁目の鳩居堂ビル6Fにあったコンタックスサロン銀座での個展が多くなりました。2005年に有楽町駅前の東京交通会館の7Fに移転してコンタックスサロン東京と改称した会場を含めると2009年に閉館となるまで2年に1回以上のペースで延べ14回も開催させていただきました。しかし、1993年ころからだったか、キヤノンのEOS学園の講師も担当するようになり、EFレンズでのEOS-1NやEOS-1v などでの撮影も多くなっていました。特に極寒での撮影に弱かったコンタックスとは違ってかなりの低温でも作動に不安のないEOSカメラは心強く、当時毎年のようにカナダに通っていたオーロラ撮影ではF1と共にメイン機種でした。ということもあり、2001年にはキヤノンのギャラリーでの最初の個展「風色」を開催できました。

人生にはいろいろな節目がありますね。進学時、卒業後の社会に出る新たな進路の選択や結婚などその都度、何に向かって人生を歩む 69歳になる今年も70代、80代になってからもその選択に迫られることがあるでしょう。これからも自分の人生を切り開きながら生きて行きたいと思っています。

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