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 No.672

三輪 薫(みわ かおる)


No.672 『創る』/写りすぎ(映りすぎ)への疑問 2019/3/16

デジタル時代になって、カメラの画素数は増えるばかりで、現在のところ止まることを知らないように感じています。このまま進化していったら、一体何処まで増え続けるのだろうかと思ってしまいますね。フィルム撮影の銀塩時代には、きめ細かい画像を得たければ、特別きめ細かく再現してくれるフィルムを除いては、フィルム面積の大きさを順次増すカメラを選択していました。しかし、現在では従来の小型カメラと同様な大きさでも高額のデジタルカメラはフィルムカメラの中判並の再現性を誇り、プリントされた画像からは大型カメラで撮ったようにも感じるほどです。フィルムカメラでは、プリントサイズによる再現性も含め、どのカメラで撮るかを決めていましたが、現在では従来の小型カメラのサイズのボディーでもフィルムカメラの中判や大型カメラと同様に感じるプリントが出来上がります。フィルム撮影を長年経験してきた世代の者にとっては、表現目的とカメラという道具の選択がイコールになっていて、それらの機材を使い分ける気構えにも通じていたと思います。しかし、現在では、車に例えると軽自動車でポルシェ並に走しることができてしまうのと似ているような気がしてくるのです。もし、実現したら、運転する歓びが奪われてしまったように感じるのではないでしょうか。軽自動車はあくまで軽自動車で、ポルシェの領域には届きません。だからいいのです。カメラも同じ。

フィルム時代にはあこがれのカメラが結構あり、いつかは手に入れたいと思う希望と夢がありました。なぜなら、世界最高峰のカメラを手に入れることが出来たら、もうその先はなく、満足感が高く、撮影結果に納得できなければ全て自分の責任と気づきます。また、10年、20年前に撮影した画像も古さを感じませんでした。しかし、デジタル時代になってカメラが進化する一方で、数年前に撮った画像ですら、何となく古い作品に感じてしまう悲しい宿命を抱えてしまったように思ってしまうのです。

今日、TV放映も4K、8Kなどと話題になっていて、そうではない液晶画面のTVからでも、以前のブラウン管TVに比べて実にきめ細かな画像が流れています。僕はデジタルビデオに録画した番組を観ることが多いですが、画素数は最低かその次ぐらいで録画することが多く、その画像のほうが目に優しい気がします。番組によっては彩度を上げてぎょっとするくらいの画像で放映されることもあり、とても見るに堪えなく、疲れてしまいます。このような画像が4K、8Kになったらと思うと、僕はもう耐えられないと思うでしょうね。

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