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 No.681

三輪 薫(みわ かおる)


No.681 故人を偲ぶ会 2019/12/21

40年近く前にフリーになった頃、知り合ったライブラリーのオリオンプレスの当時若手の社員だった中西光晴さんが7月に他界され、先月偲ぶ会が行われました。人口1万人くらいの田舎町に生まれ育った僕が写真家を目指して名古屋の専門学校に通い、卒業と同時に上京して写真家に弟子入りし、2年足らずで結婚し、フリーになっても生活の目処が立たず、名古屋で学んだ東京校の教務課に勤めて7年半の後にフリーになり、その頃に知人を通じて知り合った方でした。当時の僕はライブラリーフォトには全く興味がありませんでしたが、オリオンプレスの方々とのお付き合いが始まりました。もっぱら夜の飲み会に参加でしたが、当時のオリオンプレス社長の高野さんにはとてもよくしていただいて、個展を開催すると大きな花を届けて下さり、オリオンプレスへの貢献がない僕には申し訳なさをいっぱい感じていました。

オリオンプレスは神保町にありましたが、あるとき販売戦略のためか新橋に分室のカラーボックスという営業拠点を設け、そこの所長に中西さんがなり、フリーの写真家にとってのライブラリーの有益性を得々と話され、自宅にも押しかけてきてライブラリー用の写真を持ち帰られました。その説得は「預けるだけで写真が売れ、作品創りの手助けになる。多く売り上げれば撮影機材も買える」。当時のライブラリーはカタログによる写真の販売がメインとなってきた時代で、最初は40点くらいの掲載でしたが、びっくりの売り上げで、気乗りがしなかったライブラリーへの参加を勧めてくれた中西さんに大変感謝しました。後に退社され、表参道近くに自社のネオビジョンを立ち上げられましたが、欲が余りなかった僕はある程度の売り上げで打ち止めとし、その売り上げは大半作品創りにつぎ込みました。今から思えば、勧められるままにもう少し積極的に行い、少しは貯蓄に励んでいれば、老後の生活も多少は安心を抱けたのではないかと大変後悔しています。しかし、中西さんのお陰もあって個展を毎年のように開催し、カメラ機材などを次々と買い、海外への取材ができたのも事実です。感謝しかありません。ただ、デジタル時代になった現在では、それらの機材も過去の遺産的存在になっているのは、とても悲しいですね。

このような会に出ると、普段は疎遠になっている人達に出会えることも多く、今回も10数年振りの再会が結構ありました。しかし、15〜20年くらい会っていなく、僕らの年代にもなると風貌も激変?し、何処かで見た人だなあと思っていたら、フリーになった頃に一緒に事務所を開設した仲間だった人もいてびっくりし、感慨深いものもありました。

それにしても、人は回りのいろいろな人達に助けられ、お世話になって生きているものだとしみじみと感じていますが、人との関わりは楽しく、人生を豊かにしてくれるとも思っています。主宰している「わの会」は人の出会いを大切にしていて、来年も新たな出会いを楽しみにしています。

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