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 No.14

三輪 薫(みわ かおる)


No.14 『21世紀に乾杯!』 2001/1/10

一昨年の暮れには20世紀よさらば!と騒がれ、昨年暮にも同じ言葉が巷ではあふれていた。今年こそ本当の新世紀なのだが、そんなことは関係なく、実際には日常の延長として新年を迎えたと言う気持ちが強い。それどころか年々新年を迎えると言う感慨が薄くなってきている。故郷の関ヶ原にいた中学生の頃は、大晦日に隣町の神社まで友人達と雨の中でも歩いて参拝していた。もっと小さかった頃は除夜の鐘を近くの寺で突いていたものだ。

元旦の朝には家族で雑煮を食べ、親からお年玉をもらい正月らしさを体一杯に受け止めていたように思う。それに比べると生活感が徐々に少なくなってきたこの頃では、「生きる感激」も薄くなってきたようにも感じている。昔がよかったと思うようになったのは歳のせいかもしれない。上京して30年、得たものも大きいが失ったことも多いような気がする。

昨日新宿高島屋で白川義員氏の写真展「世界百名山」を見てきた。最終日の閉館ぎりぎりに滑り込め、約30分足らずで閉館となってしまったが、行ってよかったと思う。白川氏の作品は人生と命を掛けて取り組んだもので、見る人々に感銘を与えないではおかない。写真を見ることは、代理体験をすることでもある。まさに白川氏の作品は代理体験そのものであり、地球の、そして白川氏の生き様をまざまざと見せ付けられた思いがする。雪を抱いた高山が朝日を受け、暗闇から姿をあらわした瞬間を真正面から大判カメラで撮っている。このような視点で見ることは通常不可能で、世界有数の登山家でも初めて見る山の表情も多いと思う。先日NHKのドキュメンタリー番組でも放映していたが、命懸けで取り組んでいる姿勢には言葉にならない重さがある。僕などには到底出来ないことである。もし、同じことを出来る予算を与えられても決心がつかない行為なのだ。人々の心を動かす意欲は通じるものである。政情不安な国でも撮影が実現している。撮影許可が下りるまでの年月は長かったようだが、その国の人々の心が白川氏の姿勢に動かされたのである。

僕が尊敬する自然を撮る日本の写真家は、白川氏と水越武氏だが、同じような姿勢を感じている。生き方、写真への取り組みが中途半端ではないからである。だからこそ作品が感動や感銘を多く与えてくれる。極限状態で撮った作品にはそれだけの力がある。それに比べると自分の作品はどうだろうかと思わずにはいられない。しかし人様様で、今何が出来るのかを考えればよいとも思っている。フリーになった頃、麓派での作品創りを水越氏に薦められて20年経つが、やっと自分らしさを作品の中に込められるようになってきたと思っている。ようは作品を見た人達に何がしかの感銘を与えることができればそれでよいとも思う。その前に自分自身で自分の人間性を全てさらけ出した表現かどうかが問題であり、自問自答の毎日である。戦後に生まれ、人生50年余りを21世紀まで無事に生きてこられ、これからの残された自分の時間を有意義に過ごしたいと願っている。

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