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 2001年

三輪 薫(みわ かおる)


2001年

No.80 『生きること』/元気な世代 2001/12/31

 今、ご年配の方々がとても元気だ。このような先輩たちの姿を見ていると、生きる希望が湧いてくる。それ比べ、僕のような50代やもう少し若い40代の人達はどうだろうか。押し寄せる不景気風をまともに受け、リストラや企業不振にあえいでいる人もいる。周りの60代後半以上の人達には生活も安定した人も多く、余生なら...more

No.79 『生きること』/どうなるのか21世紀 2001/12/30

 今年一年を振り返って見ると、やはりニューヨークの惨劇が一生忘れない事件となるだろう。アフガンでの戦いは小康状態になっているようだが、ベトナム戦争の時の記憶と重なってくる。この国に本当の平和が訪れるのはいつの日になるのだろう。イデオロギーや宗教の違う人々が同じ社会の中で暮らすことの難しさを痛感...more

No.78 『生きること』/原風景 2001/12/28

 「わの会」HPの掲示板に、読者から以前次のような言葉が寄せられた。「“元風景”と言う言葉があり、よく水田、特に棚田が挙げられます。確かに文句無く美しい光景ですが、各自元風景と言うのは異なるはず。私自身について申せば初めて水田を見たのは10歳前後、棚田に至っては20歳過ぎ・・・。私にとっての元風景は...more

No.77  「写すこと」/個展「風色」 2001/12/24

 今回の個展は、自然風景を撮り始めてから、豊かな自然に囲まれて育った田舎出身の僕が、日本人として「心を写した写真」とはどのようなものであるかを長年考え、撮り続けてきたものを自分で確かめるためのものだった。このように自分を見詰めることをテーマとしたものが「テーマ」と呼べるかどうかは分からない。いま...more

No.76  「写すこと」/自分で自分の作品を見る個展 2001/12/24

 写真展会場に行くと、作者がいる場合と、いない場合があり、作者が自分の作品を見せたいという個展には作者がいつもいるとは限らないような気がする。一方で僕のように自分で自分の作品を眺め、確認したいという姿勢の個展には、作者は常時いるような気がする。
 今回の個展は17回目であるが、僕は...more

No.75  「写すこと」/個展開催 2001/12/24

 15日、銀座キヤノンサロンでの初めての個展が終わった。定期的に開催しているコンタックスサロンとは違い、会場は少々狭く、外光も入ってくる。今回の作品は半切2枚、全紙21枚、全倍を3枚展示した。ここの所、カラー作品の展示サイズは益々大きくなり、前回の「風光−IV」は小さいサイズでも全倍より大きく、最も大きな...more

No.74  「写すこと」/作品展−5 2001/12/14

 マット加工にもいろいろある。最も簡単で安価なのがオーバーマットにプリントをテープで止める方法だ。この方法は最も安価であるがプリントが波打ってしまう。一般的な写真展によく見られる。オーバーマットの下側にも、同じマットを使う「ブックマット」と言う方法がある。ファインプリントなどを、加工せずに2枚のマットで...more

No.73  「写すこと」/作品展−4 2001/12/11

 額装などの見せ方も大切で、額装やパネル等の展示方法によっても作品の印象は違ってくる。手抜きは禁物である。全ての写真展に言えるわけではないが、これらの見せ方へのお金の掛け方が少ない作品展も目立つ。勿論、予算に応じた見せ方もある。額は様々な銘柄が発売され、専門業者の注文額と同様に見える安価なタイプもある。...more

No.72  「写すこと」/作品展−3 2001/12/9

 プリント仕上げには、ポジからダイレクトプリントするか、インターネガを作ってネガプリントにするかを考える。最近の僕の個展は全てネガプリントである。サイズが大きいと言う理由もあるが、トーンがダイレクトに比べて優しく、豊かで滑らかなグラデーションが再現できるからだ。自分が求める作画には合っていると思う...more

No.71  「写すこと」/作品展−2 2001/12/7

 意外と難しいのが、自分の個展作品のセレクトである。他の人の作品は冷静に見られても、いざ自分のこととなると感傷などが入り込み、迷いも大きくなる。大筋で決めても、1点入れ換えると全体の流れも時には大きく変わり、印象も違ってくる。個展では余程大きな会場でない限りは全体の作品が視野に入り、1点と言えども...more

No.70  「写すこと」/フォトコンテスト 2001/12/6

 昨日は「第35回・キヤノンフォトコンテスト」の審査。昨年に比べ、3.000枚近く応募数が増えたとかで、主催者側は喜んでいた。部門も多く、1万点を越える作品群であった。一般部門とネイチャー部門への応募が圧倒的に多く、第一次審査では強烈に記憶に残る特別光った作品は目立たなかったが、結果としては魅力的な作品...more

No.69 「写すこと」/作品展 2001/12/4

 講師をしていると生徒さん方のグループ展や個展に関わることも多くなる。先月と今月には僕の個展を含め5回あり、現在キヤノンクラブ東京第1支部展が銀座で開催中で、6日からキヤノンクラブ東京第5支部展が銀座で、10日からは僕の個展、18日からキヤノンクラブ湘南支部展が藤沢で開催する。特に気を遣うのが各自が...more

No.68 「写すこと」/コンタックスNデジタル発表 2001/11/30

 遂に待ちに待った「コンタックスNデジタル」が正式に発表され、発売日も提示された。以前、京セラの担当者が予告した通りのフルサイズで、価格も80〜100万円と言っていた範囲の低価格の80万円。スペックはN1同様で、画素数も600万を越え、秒間3枚撮りも立派なものと思っている。...more

No.67 『生きること』/失われゆくもの−3 2001/11/23

 現代の若者はと言えば、皆同じような格好で何をするともなく座り込んでいる一見無気味に思える姿が見られる。一部の若者だが歳をとっている大人からすると、無礼千万な振る舞いをする者もいる。シルバーシートで大股開きで座り、大声でわめいたり携帯で話していたりと、数え上げたらきりがないほどだ。...more

No.66 『生きること』/失われゆくもの−2 2001/11/13

 僕の小さい頃は八反(8アール)ほどの田圃を、耕運機ではなく牛で耕していた。農機具小屋ならぬ今から思うと立派な牛小屋があった。稲穂が色付き垂れるようになると犬を田圃の畔に長く伸ばした番線に繋ぎ、猪に踏み荒らされるのも防いでいた。畔に植えた豆を野ウサギに食べられないような仕掛けも用意していた。小学校...more

No.65 『生きること』/失われゆくもの 2001/11/10

 日本人の生活様式も西洋化され、日本独自の文化や社会の仕組みが徐々に変化している。僕が放浪の旅をしていた若い頃に訪れた町や村、写真学校時代に先生の助手として同行した東北・南会津の村などでは、地元の人達と都会の人々には明らかな風貌の違いが見られた。特に子供の表情には田舎の子らしい特徴があった。今は...more

No.64 『写すこと』/コンタックスへの思い入れ 2001/11/4

 愛用機種のメインの一つであるコンタックスには、僕の期待感が随分入っている。コンタックス645のAF機構デュアルフォーカスシステム内臓のレンズは、一見マニュアルフォーカス的なレンズである。AFカメラと言え、全てがカメラ任せのAFで撮れる訳ではない。とりあえずAFでピントを合わせ、その後マニュアルフォー...more

No.63 『写すこと』/世界で一つしかない機材 2001/10/30

 僕が所有の機材には、改造した物もある。大手のメーカーが量産した機材でも、僕にとって使い勝手の良くないものもあるからだ。自分が使いやすいように改造を加えるのである。このような機材には思い入れも大きく、絶対に手放せない。中には手作り的な機材を発売しているメーカーの偶然一つしかないオリジナルを入手できた...more

No.62 『生きること』/撮影マナー 2001/10/22

 今、カメラマンのマナーが問題となっている。特に、自然の中での撮影態度が横暴なことである。一部の人かもしれないが、自然を犯さないためのマナーを守らない人がいるという。この問題はアマの人だけではないらしい。以前親しい人から聞いた話では、僕のように講師をしているプロが、皆さんの前では「自然を大切にしよう...more

No.61 『生きること』/尾瀬と上高地 2001/10/22

 世界的に見ても素晴らしい世界的遺産の尾瀬は、観光シーズンには観光バスが連なり、一般の観光地並に多くの人が押し寄せ、自然環境バランスが崩れてきて久しい。尾瀬の水芭蕉はお化けのように巨大である。富栄養化も原因だという。多過ぎる山小屋も問題だろう。あるから行き、泊まる。当然、僕もその内の一人である。...more

No.60 『生きること』/国立公園 2001/10/22

 随分前になるが、尾瀬ヶ原で入園料を徴収する提案がされたことがある。結果的にはキャンセルされてしまったが、どうしてだろうか。僕は大賛成である。素晴らしい自然に触れ、一時の楽しみを得るには少々の金額を負担してもよいと思っているからだ。尾瀬も日本国民のものだから、誰でも無料で入ることが出来るのは当然と...more

No.59 『写すこと』/速写性は大切なことか 2001/9/30

 大半の大型カメラや一部の中判カメラでは、AE撮影ではなく絞り値やシャッター速度を手作業で決めたり、アオリを使ったりしなければならない。つまり速写性はなく、現在の小型カメラのようにパチパチと気軽に速く撮れない。しかし、じっくりと被写体に向き合い全神経を集中して撮るには向いている。特に大型カメラでは...more

No.58 『写すこと』/クラシックカメラ 2001/9/21

 欲しいカメラに、何れも旧型だがローライフレックスとM型ライカや4×5〜8×10インチ判カメラのジナーがある。AEやAF機構も内蔵されていなく、全てを手作業で行うカメラである。どれも職人芸に近い作りで、一味も二味も今のカメラとは違うタイプだ。カメラを扱う楽しみも大きく、傍において眺めているだけでも心が豊か...more

No.57 『生きること』/テレビ報道と現地の情報 2001/9/13

 湾岸戦争の時も瞬時に実況中景のようにテレビで放映された。まるでドラマを見ているような気分を感じたのは僕だけではないだろう。今は世界中で起こった事件等が素早く家庭の中にも伝えられる。今回も目の当たりに見ているような放映だった。しかし、全体像を伝えることは難しく、放映された現象だけが心に残る。だからこそインパクトの強い映像が選ばれることになる。日本のテレビでは今回のことを喜んでいる人達も...more

No.56 『生きること』/強硬姿勢と冷静な行動 2001/9/13

 知人でニューヨークに赴任していて、今回の事件に遭遇した人がいる。幸いにして難は免れたが、ビルが崩れ落ちるところも目撃したと言う。まさに信じがたく、許すことの出来ないテロである。いや、大統領の言うように戦争かもしれない。このまま進めばまた多くの犠牲者が出ることになり、益々悲惨な現状が待っている。や...more

No.55 『生きること』/惨劇 2001/9/13

 11日に起きたニューヨークの惨劇は、無防備に近い都市の危険性をさらけ出したものだった。同じようなことを書いた小説もあったと言うから、非現実的な出来事ではないのだろう。しかし、テレビの画面からはまるで映画のワンシーンでも見ているように感じた。凄いことを考え、実行する人達がいるものである。日本の神風特...more

No.54 『写すこと』/コンタックス645の可能性 2001/9/10

 コンタックス645のレンズを見ると、とてもAFレンズには見えない。外見は普通のMFレンズと同様に見える。コンタックスG1が発売された時にメーカーに言ったことがある。どうしてレンズにフォーカシング用のヘリコイドを無くしたのか、と。今のレンズではボディー設計に限りがあるように思う。AFレンズでありながら...more

No.53 『写すこと』/コンタックス645 2001/9/10

 京セラ(株)がコンタックス645の発売に際し、ライバルとなるハッセルブラッド用レンズアダプターをアクセサリーの中に加えたのは不思議である。鈍感な僕はひたすら喜んでいたのだが、緻密な計算があるかもしれない。つまり、ハッセルユーザーをもコンタックスの愛用者にと言う思いがあるからだろう。ボディーとアダプター...more

No.52 『生きること』/日本の祭り−4 2001/9/8

 風の盆の「ひとりごと」を読んでくれた奄美の人から「私も自分の集落の八月踊りの世話役をしていますが、自分達が楽しめない祭りは祭りではないと思います。郷土芸能は文化として残すべきで、お金に変えたらその時点で終わりです。15種類ある踊りを、50代になりすべてマスターし、歌詞をつたえて行く。容易な事ではありま...more

No.51 『生きること』/日本の祭り−3 2001/9/6

 「風の盆」のように小さな町の祭りでも、有名になると多くの人達が押し寄せる。商魂逞しい旅行社が全国からお客を連れてくる。地元の人達の祭りが観光化されると、ショービジネス化された祭りに見えてしまうから不思議だ。商店街の人達もここぞとばかりに観光客相手に臨時の店を出し、自分達の祭りを楽しむどころか商売...more

No.50 『生きること』/日本の祭り−2 2001/9/6

 祭りには心踊るものがある。僕が育った山間の小さな町の祭りは御輿や山車が出るわけでなく、八幡神社の境内などに夜店が出て花火を上げるだけの素朴を絵に描いたようなもので、観光客など誰一人いなく町の人たちと親戚の人達が集まるだけのものだった。町内には全国に結構知られた花火工場もあって、花火場の中央には...more

No.49 『生きること』/日本の祭り−1 2001/9/6

 富山県利賀村で開催の「日本海時代の祭典」の後、9月2日に八尾の「おわら風の盆」に寄ってきた。以前NHKで放送された番組の中では噂通りのもので、特に町流しの哀愁漂う胡弓の音色と浴衣の若い女性の踊りには心惹かれるものがあった。だから期待感は大きく膨らみ、町外れの駐車場からシャトルバスに乗って町中に向か...more

No.48 『写すこと』/愛用カメラ−4 2001/8/23

 僕等が上京した30年近く前は、中判カメラはハッセルブラッド、大判カメラはリンホフかジナーなどを持っていないとプロではない!、ともささやかれていた。ツアイスレンズの素晴らしさはローライフレックスで確認済みだったが、当時のハッセルは相当高価でとても買えなかった。仕事を始めた頃、何とか入手した。その後...more

No.47 『写すこと』/デジタルカメラの画素数 2001/8/23

 デジタルカメラの画素数は、多いほうがよいのだろうか。現在主流となっているデジタルカメラでは、銀塩の世界と比べるとプリントサイズによっては見劣りがするようだ。しかし、今回発売になったコダックの「DCS Pro Back」は1600万画素の超大型CCDを搭載し、講習会で見たポスターも実に綺麗な仕上がりで、実用価値は...more

No.46 『生きること』/沖縄の現状と選挙 2001/8/22

 7月の参院選で沖縄から上京して立候補し、沖縄の現状を訴えた人がいる。この人も落選と言うには少な過ぎる得票数だった。通り過ぎる人達に語り掛けても反応は少なく、田氏と同様の思いだっただろう。沖縄が抱える問題や事件の数々は、新聞やテレビ等で大半の人が知っていると思う。しかし、沖縄から遠く離れて暮して...more

No.45 『生きること』/戦争放棄と平和 2001/8/21

 特攻隊の生き残りであった『田 英夫』氏が、先の参院選で落選した。初のテレビニュースキャスターとして鳴らした田氏は、ベトナム戦争時には南からの一方通行の情報だけではなく北ベトナムにも赴いて放映した。結果は、何故か圧力が掛かってこの番組が無くなり、テレビ局も退社となる。その後参院選に立ち、2度も最高...more

No.44 『生きること』/終戦記念日 2001/8/18

 今年の首相の靖国神社への参拝や、全国戦没者追悼式での式辞は、例年になく話題を提供し、今更ながら「太平洋戦争とは何だったのか」を考えさせられた。様々な見解などが新聞やテレビに登場していたが、何が正しいことなのか、判断するのは難しい。戦後生れで平和な日本で生活している僕でも、世界の中で生きることの難...more

No.43 『写すこと』/愛用カメラ−3 2001/8/14

 残念だった悔しい思い出がある。写真を学んでいた苦学生の頃、メーカー主催のモデル撮影会でお手伝いをし、合間にひらめいて、ちょこっと撮った作品を応募した所、見事に1席!。全国各地の撮影会作品を集めた“実質年度賞でもトップ”扱いだった。
 その明くる年(卒後、上京した年)...more

No.42 『写すこと』/愛用カメラ−2 2001/8/10

現在多用している35mm判のカメラは、コンタックスとキヤノン。コンタックスはN1が出てからは、大半の撮影をRTSシリーズではなく、N1で行っている。レンズは24−85mm、70−300mmの2本のみで、これで十分間に合っている。レンズの選択の基本は、肉眼でしっかりと見詰められる世界であり、この2本のレンズで...more

No.41 『写すこと』/愛用カメラ−1 2001/8/6

 写真に興味を持ち、関わって40年くらいになるだろうか。でも、僕は53歳。いつの間にか、何を置いてもカメラ・カメラと買い続けて、増えてきた。中には二軍のベンチ入りさえ叶わない機種もあり、たまには、一軍の陽の当たるところへの登場と、愛情を持って考えているのだが、身体は一つ。やはり、愛情不足かも‥‥‥‥...more

No.40 『写すこと』/グループ展への出品 2001/8/1

 ドイテクニカルフォトの企画展に要請を受けて参加した。この写真展「モノクロワールド展」は7日まで開催中である。13人が出品しているが、今回のは全てモノクロで、色が直接見えないだけに、返って個性や主張がはっきりと提示されているような気がする。
 オープニングパーティーには妻と...more

No.39 『生きること』/人の出会いは楽しみ 2001/7/26

 人生、何が嬉しく幸せかと言ったら、「人との出会い」だろう。一生の間に出会う人の数は、平均数千人とか。講師業を務めていると、実に多くの方々との出会いがある。まさに講師冥利に尽きることなのだと実感している。
 「わの会」の会員数は昨年度末が400...more

No.38 「写すこと」/白黒写真 2001/7/23

 今の時代、モノクロ写真を志している人は少数派になってしまった。カラー全盛と言われて久しいけれど、寂しい限りである。以前はモノクロを主体にしていた人でも、今はカラーオンリーの場合が多く、増してや黒白写真を自家処理している人は少ない。何故だろうと考えてしまう。
 確かに、プロはモノクロ写真を撮っ...more

No.37 「写すこと」/人生を託す写真と機材 2001/7/19

 30年前、写真学校に通っていた頃は所有機材も少なく、課題作品を撮るために必要な中古レンズを買うのも大変だった。在学中、自分で購入したカラーフィルムなど数本?しか撮った記憶がない。その頃のアルバイトの時給は150円くらいで、フィルムも現像料も今と同額に近かった。だからカラーを1本撮るためには、8〜10時間...more

No.36 「写すこと」/創りが絶品な機材−2 2001/7/16

 M型ライカや二眼レフのローライフレックスなどは創りがよく、持っていても、テーブルの上などに置いても、実に様になって見えるから不思議だ。手触りも違い、これこそカメラだ!と、思うほどの感銘はどこから来るのだろうか。カメラ王国と言われて久しい日本だが、何と寂しい現実だろう。実用には不足はなく、撮影分野に...more

No.35 「写すこと」/創りが絶品な機材−1 2001/7/12

 設計がコンピューターになり、工作機械も進歩して性能は上がったが、何故か写真機材や用品の質・手触り感などの満足感が昔より高くなったように思えない。僕だけの思いではないだろう。M型ライカやローライフレックス、ライツの雲台、フォコマート(旧タイプ)などの創りは絶品だ。大事に使えば一生物。いや、何代にも渡って...more

No.34  「写すこと」/感動と驚きと、心に残る描写 2001/7/7

 一昔に比べ、カメラ誌などに掲載される作品が分野を問わず随分色鮮やかになっているように感じるのは僕だけだろうか。印刷効果などの進歩によるものも大きいが、何よりフィルムの発色傾向が全体的に鮮やかになってきたことが原因だろう。
 写真愛好家にとってフォトコンテスト...more

No.33  「写すこと」/自分の色を持つ 2001/7/4

 自然はより自然らしく写し止めたいと思っている。勿論、好みの色は個人差があり、否定はしない。しかし、写真家の多くが同じ銘柄のフィルムを愛用するなど、僕には考えられないことである。特に自然を撮る人達が同じような色合いが好みとは驚きなのだ。音楽や食事やファッションなどの好みは千差万別なのに、写真のトーン...more

No.32 『生きること』/続編5「中国の世界遺産」 2001/6/21

 先日、中国の世界遺産「九寨溝と黄龍」の撮影ツアーから帰ってきた。共に整備され、ゴミひとつ落ちていなかった。訪れる人達も今や多くなっているが、マナーの良さのためだろう。園内のシャトルバスはガソリンではなくガス式で、観光バスは入れない。人工的なものは木道や休憩所などだけで、日本のように公園内にホテルが林...more

No.31  「写すこと」/「侘び寂」を写すフィルムと光 2001/6/8

 自然風景を撮る多くの人達の愛用フィルムは大半がフジクローム・ベルビアで、カメラ誌などに掲載されているプロもアマの作品には、撮影データの中でベルビア以外を探すのが難しい程だ。確かに素晴らしいフィルムである。色合いの鮮やかさ、ぬけの良さ、コントラストの高い描写性、粒状性の細かさなど世界で一番であると言...more

No.30  「写すこと」/デジタルカメラ 2001/5/27

 時代遅れのようだが、今回初めてデジタルカメラを使ってみた。しかもレンズ交換式の「EOS-D30」。コンパクト型では撮影に気軽さが先に立ち、作品創りの姿勢が曖昧になると思ったので、ダイレクトに本命のカメラへと走った。
デジタルカメラでは撮っても直ぐに消せ...more

No.29  「写すこと」/真の姿を写したい! 2001/5/22

 仕事柄カレンダー企画に、プレゼンで作品を出すことがある。よく言われるのが「三輪さん、もっと派手なフィルムで撮ってよ!」。他者の作品の色と比べ、地味過ぎると言う理由で落ちることが多いと言うのだ。
 僕は地味とは思っていない。「自然をよ...more

No.28  「写すこと」/写真は「真実を写す」か 2001/5/16

 僕の自然風景作品は、「自然をより自然らしく写す」ことに心を砕いている。見た目よりも派手に再現することは余り好きではない。どちらかと言うと、地味目の色合いなどにフィット感が沸く。自然を前にした時に抱く感慨などを、深く永く続く記憶に留まる描写をしたい。だから不必要な鮮やかな発色や、実際の色を強調し過ぎる鮮...more

No.27  「写すこと」/日本の自然風景と湿度の関係 2001/5/7

 日本はヨーロッパやアメリカなどに比べ湿度が高い。日本的な自然風景の撮影には、日本独自の気候風土の空気感を伝える描写が大切と思う。そのためには、この湿度を抜きにしては創作が出来ないとも考えている。僕がフィット感を抱く「侘び寂」の風景は、まさにこの適度に漂った湿気を如何に画面に取り入れるかも鍵となる。自然...more

No.26 「写すこと」/『Oniy Zeiss』−2 2001/4/30

 「Oniy Zeiss」(1)の取材では、早朝から深夜まで連日のように撮影三昧?。今から思うと若かったから出来たようなものの、実にハードなものだった。この時ドイツに行ったスタッフは5人。デザイナー・ライター・プロデューサー、そして取材の裏方の全てを担当してくれた印刷会社の担当者と僕。現地で通訳やドライバーとも合流。...more

No.25  「写すこと」/続編9『Oniy Zeiss』 2001/4/25

ツアイスのレンズ読本「Oniy Zeiss」(1)は、1993年に京セラ(株)の発行で、先日「わの会」HPの掲示板でプレミアがついているのを知った。自分が多く関わったから言うのではないが、見応え、読み応えのある本だと思う。しかし、送料を含め8.000円近いとは、ビックリ!。プレミアが付くと言うのは、それだけ価値のあるものとの評価。...more

No.24 『生きること』/続編4「自然破壊」 2001/4/11

 ドイツでは護岸工事をした河川を元の姿に戻す工事をし続けていると、随分前にルポライターの本で読んだことがある。魚が住めなくなった死んだ川を蘇らすためである。この工事費用は膨大で、最初の工事費以上に必要との事だった。それでも元の自然の姿に戻す努力をしていると言う。何処かの国とは大違いである。人の生活と...more

No.23 『生きること』/続編3「自然との共存共栄」 2001/4/3

 日本の素晴らしく美しい自然と文化は、世界に誇れるのものである。“昔は良かった!”などと言わずに済むよう、大切に守り、保存したいものにあふれている国なのだ。しかし、戦後の高度成長の短期間にも関わらず、乱開発などで失われた自然は実に膨大だと思う。大気の悪化も美術文化財を侵し続けている。...more

No.22 『生きること』/続編2 2001/3/19

 先日、銀座松屋にて開催中の「与 勇輝」人形展を観てきた。観るのは今回で2回目だが、人形でありながらも、まるで生きている人がそこに立っているような、それどころか生身の人よりも存在感や体臭のようなものが発散しているかのような、実に不思議な雰囲気が漂った作品展だった。
 与さんは、人形は「創る」のではなく、...more

No.21 『写すこと』/続編8 2001/3/18

 現在、アマもプロも愛用・常用機種の大半は、AE・AF化されているカメラである。特に機械の扱いには苦手な人達にも、煩わしいことは全てカメラ任せに出来、安心して楽しく撮影できるようになったのは嬉しいことだ。だからこそ熟年世代の写真愛好家が飛躍的に増えている。平均寿命も年々永くなり、余暇の時代と言われて...more

No.20 『写すこと』/続編7『ズームレンズは単焦点より優れているか』 2001/3/10

 一昔前のズームレンズは、明らかに単焦点レンズとは違い、見劣りのする描写が当たり前であった。しかし、現在のレンズは、四つ切程度のプリントでは単焦点レンズで同時撮りをして比べても判別できないほどよい描写をしているものが多い。高級ズームレンズになると尚更であり、もっと大きなサイズに引き伸ばしても見応えの...more

No.19 『写すこと』/続編6『AE・AF化の落とし穴』 2001/3/3

 現在の小型カメラはAE・AF化されているのが当たり前になってきた。マニュアルフォーカスに長年こだわってきた(こだわり続けてきた)コンタックスですら、昨年秋には遂にAF化したN1を発売した。今や在庫が無くて入手するには随分待たされると聞いている。しかし、考えてみると中判のコンタックスですらAF化している...more

No.18 『写すこと』/続編5 2001/2/24

 「写す」「写る」と言っても、写真は所詮カメラがなくてはどうにもならない。絵や文章などと違って道具である「カメラ」の存在意義が大変大きいからだ。機構の進歩が著しい今の時代には、押せば写る便利この上ないカメラが大半である。「写らない」ことのほうがはるかに多いような気がする。だからこそ写真の世界には、数々...more

No.17 『写すこと』/続編4 2001/2/10

 「写す」ためには自分の写真論を持つことも必要である。21世紀を迎えたことだし、もう一度原点に立ち戻って写真で何を表現したいのか、何を、どのように撮りたいのかを考えてみてもよいだろう。自分の写真論を確立するためには、写真を撮って考えることも大切だが、本を読んだり、映画や絵画・彫刻などを見たり、音楽を聴い...more

No.16 『写すこと』/続編3 2001/1/30

 「写す」と言うことは一体どう言うことなのだろうか。シャッターを切るのは目の当たりに見たものに感動したり、記録として何かを残したい、誰かに伝えたいと言う思いがあるはず。写真には写し手側の姿勢や人間性や考え方などが自覚しないまでも反映される。写真を「写心」と言い換えることがあるのはそのためで、「写る」写真よ...more

No.15 『生きること』 2001/1/23

 僕は華奢な割には意外と体力があるようだ。時間の使い方が下手で、ここ5年ほどは年中無休の有様を楽しみ、自宅にいる時は夜明け近くまで書斎と倉庫と化した暗室にいることが多い。睡眠不足が趣味?のようになってしまっているが、ここ数年来ダウンしたことがない。しかし、割と時間にゆとりがあった頃は、年に一度くら...more

No.14 『21世紀に乾杯!』 2001/1/10

 一昨年の暮れには20世紀よさらば!と騒がれ、昨年暮にも同じ言葉が巷ではあふれていた。今年こそ本当の新世紀なのだが、そんなことは関係なく、実際には日常の延長として新年を迎えたと言う気持ちが強い。それどころか年々新年を迎えると言う感慨が薄くなってきている。故郷の関ヶ原にいた中学生の頃は、大晦日に隣町の...more


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