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 No.22

三輪 薫(みわ かおる)


No.22 『生きること』/続編2 2001/3/19

先日、銀座松屋にて開催中の「与 勇輝」人形展を観てきた。観るのは今回で2回目だが、人形でありながらも、まるで生きている人がそこに立っているような、それどころか生身の人よりも存在感や体臭のようなものが発散しているかのような、実に不思議な雰囲気が漂った作品展だった。

与さんは、人形は「創る」のではなく、「生む」のだと言う。男だから、お産は実感として分からないはずだが、自分の分身として人形を生み続けることで、母親のようなうずきを覚えるのだろうか。人形を創作し続ける事で、自分を探っているように感じた。まさに与さんの「生き様」を、人形の「豊で優しい表情」に移し替えて表現しているのだと思う。

この方の創作は写真の世界とも共通性が多いにある。人の表情や仕種の観察眼、心の中を読む洞察力、様様なものに対する感動の仕方など、並ではない。何気ない子供達の表情などに惹かれ、感動し、それらを作品に反映させている。写真にも同じように「観察眼・洞察力・感動」などが必要だ。無から形創って行く人形と、有の被写体を切り取る写真との差はあるが、自分自身をさらけ出す行為には、共感を覚える。

3月15日にNHK総合「にんげんドキュメント」で放映の『死に直面する画家の魂』を観た。登場の現代美術家・今井俊満氏の生き様も凄いものがある。現在、癌に犯されながらも毎日描き続ける原点は、50年前のピカソとの出会い。ピカソからの宿題は「毎日描け、一万枚描け」だった。以来、画風も人生の歩みと共に移り変わり、パリで初めに評価された抽象画、日本の「花鳥風月」、原爆図と続き、今は渋谷で出会うコギャルを大胆な線画で描いている。このエネルギーは一体何処から生まれるのであろうか。死と向き合いながらも72歳の年齢を感じさせなく、エネルギッシュに描き続ける精神力の強さには脱帽である。人生、こうありたいものだ。

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