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 No.27

三輪 薫(みわ かおる)


No.27 「写すこと」/日本の自然風景と湿度の関係 2001/5/7

日本はヨーロッパやアメリカなどに比べ湿度が高い。日本的な自然風景の撮影には、日本独自の気候風土の空気感を伝える描写が大切と思う。そのためには、この湿度を抜きにしては創作が出来ないとも考えている。僕がフィット感を抱く「侘び寂」の風景は、まさにこの適度に漂った湿気を如何に画面に取り入れるかも鍵となる。自然風景を撮る上で最も重要視しているのが、臨場感と空気感の描写である。

自然風景を始めた頃、「霧の粒子まで写したい」と、評論家の方との対談で語ったことがある。今も同じ期待感で撮っている。もちろん光による描写の違いもある。アメリカやヨーロッパの映画と日本の映画を比べると、国土が位置する緯度の違いが光を捉える画面に見て取れる。画面に漂う湿気も然りである。

現在日本の自然風景写真の多くが、実際よりも鮮やかで、抜けの良いトーン再現を見せたものが多くなっている。年々鮮やかさを増すフィルムの発色特性やPLフィルター効果によるものも多い気がする。いつの頃からか、このような描写が多くなってきた。勿論、季節や天候によっては、からりと澄んだ空気感や光に覆われた描写やトーン再現もある。しかし、僕が心惹かれる日本の自然風景を撮った作品は、湿度が肌に伝わる描写と情感豊かな表現力があるものだ。

先日、五月晴れの季節は演奏家にとって嬉しく気持ちよい季節なのだ、と言う指揮者の方の記事を目にした。木製の弦楽器は湿気に敏感で、日本で聴く洋楽は湿気が少ないときが響きの良い音で奏でられるという。だからという訳ではないが、逆に和楽器は湿気がやや多めのときに響きがよくなるのではないだろうか。日本の自然風土に合った楽器なのだと思う。日本の自然風景も風土に合ったトーン再現などを考えると、より日本らしい表現力を持った作品になると思う。

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