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 No.28

三輪 薫(みわ かおる)


No.28 「写すこと」/写真は「真実を写す」か 2001/5/16

僕の自然風景作品は、「自然をより自然らしく写す」ことに心を砕いている。見た目よりも派手に再現することは余り好きではない。どちらかと言うと、地味目の色合いなどにフィット感が沸く。自然を前にした時に抱く感慨などを、深く永く続く記憶に留まる描写をしたい。だから不必要な鮮やかな発色や、実際の色を強調し過ぎる鮮やかタイプのフィルムとPLフィルターの常用も好きではないし、常用の必要はないと思っている。「自然が一番!」

しかし、印象としてやや強調しないと伝わらないこともある。このような時には隠し味として利用することにしている。だから、見たままの色に出ない条件の時に派手目のフィルムを愛用する。

昨今、コンテストなどでもパソコン制作によるプリントの応募が増えてきた。広告などの世界では、合成など朝飯前で当たり前!。自然に見える写真でも、どこまでが真実の世界か分からないものもある。素人でもPCの進歩によって気軽に合成などできれば、巷に溢れた作品なども真実は何か、判別できないものも出てくるだろう。

僕は常々「写真は真実を写さない!」と言っている。近年のネイチャー写真の大半が、自然と言いながら本当の自然の姿・表情などより、いつの頃からかかなり強調して写すのが当たり前になってきたからだ。ウソっぽい写真は好きではない。

僕が写真学生だった頃は、「リアリズム写真」と言う言葉が巷ではよく聞かれた。模範を示すプロの写真家には、ドキュメンタリーを生き様とする人も多くいたように思う。しかし、現在は僕も含め社会派の写真家は少ない。作品の発表の場もなく、撮っても生活が成り立たなくなってきたことと、大半の国民の生活レベルが高くなり?、社会・政治などへの関心が低くなってきたことも原因の一つと思う。

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