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 No.36

三輪 薫(みわ かおる)


No.36 「写すこと」/創りが絶品な機材−2 2001/7/16

M型ライカや二眼レフのローライフレックスなどは創りがよく、持っていても、テーブルの上などに置いても、実に様になって見えるから不思議だ。手触りも違い、これこそカメラだ!と、思うほどの感銘はどこから来るのだろうか。カメラ王国と言われて久しい日本だが、何と寂しい現実だろう。実用には不足はなく、撮影分野によっては今のカメラでしか仕事にならないものも多い。しかし、所有し、撮影時の心の満足感と楽しさを放棄したような気持ちだ。写真を撮る楽しみは実用だけではなく、持っていて、触って、見て楽しくなることも重要な要素であると思っている。戦後生れの僕が知るそのような国産カメラには、初代のニコンF・キヤノンF1・コンタックスS2などがある。現行機種ではコンタックスRTSIII。M型ライカに似たキヤノン4Sbや7、ニコンSPなどもそうだろう。僕が持っているキヤノンP(4Sbの普及タイプ)など、売り出された頃の価格は、新卒者の給料の半年から1年分に近かく、年上の従兄弟は毎月の給料が全てカメラ店への支払いに飛んで行った、と聞いている。時代の流れとは言え、今は全て製造中止。残念である。同様のカメラも復活しているが、創りに満足感が得られない仕様で、存在感は比べようがないのが惜しい。

僕の現在の主流機種は、現行機種が多い。しかし、キヤノンF1を3台(ニューF1も1台)、コンタックスS2は4台持っている。これらのカメラを所有しているからこそ、今のカメラを主流として愛用できる安心感を抱く訳である。現在市販のカメラしか持っていなく、使っていない人には、理解に苦しむ言葉であると思う。それらの人は、一度中古ショップを覗き、それらのカメラを手に持って感触を楽しんで欲しい。きっと分かるはず。今、若者達に昔のライカがもてはやされていると聞く。多くの写真愛好家よりも、カメラの楽しさを手触りで知り、何がカッコイイかを身体で感じ取っているからだろうと思っている。

人間、生きるための利便性だけを追求していると、実に寂しい?ものだけが残るような気がする。子供の頃、未来の食事が錠剤の料理?でこと足りるようになったSFの物語を読んだことがある。何と、貧しい食事風景だろうか。真っ平御免である。今、コンビニが流行り、田舎にもあり、確かに便利だが、工場?で作った料理だけではどうかと思う。若い人達の家庭に、包丁や俎板、鍋などがないところもあると聞く。えっ!、と言いたいくらい。家庭の味のオリジナリティーを放棄したのである。写真業界も、その内、そのような姿を表すかもしれない。自分独自の愛するカメラ・フイルムなどに、もっとこだわって欲しい。僕の心配が杞憂であることを願っている。

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