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 No.37

三輪 薫(みわ かおる)


No.37 「写すこと」/人生を託す写真と機材 2001/7/19

30年前、写真学校に通っていた頃は所有機材も少なく、課題作品を撮るために必要な中古レンズを買うのも大変だった。在学中、自分で購入したカラーフィルムなど数本?しか撮った記憶がない。その頃のアルバイトの時給は150円くらいで、フィルムも現像料も今と同額に近かった。だからカラーを1本撮るためには、8〜10時間ほどのアルバイト料が必要だった。機材の購入はもっと、もっと大変だったのである。因みに、ハッセルなどは大学の新卒給料の半年分に近いほどの価格だった。M型ライカも同様。時代が変わって、夢のまた夢であったM型ライカも数年前に入手。写真の世界を楽しみ、志すには、今は本当に良き時代である。今は欲しかった写真機材も大半得られ、思う存分に近くフィルムを消費しながら写真を撮れる幸せを味わっている。しかし、欲しい!、撮りたい!、と言う願望が、簡単には叶えられないほうが幸せであるかもしれない。欲しい機材をやっとの思いで入手できた時や、カラーで撮影できた時の喜びと満足感が高いからだ。

写真機材は道具。より満足度の高い作品創りには、世界最高のものを使いたい。そして写真を撮ることに人生を掛けている。だからこそ、人生を託すことができる機材を選びたいと思っている。学生の頃、先生などからプロなら撮影機材は惜しまず、このカメラしかもう最高の物はない、と言うカメラを使うべきだ。何故なら、上手く撮れなかった原因を、機材のせいにしたくなるから、進歩が生れない、と。それらの機材で、自分の人生を写し込む写真を、心に響く満足感の高い作品を少しでも多く残したいと思いながら撮り続けている。

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