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 No.41

三輪 薫(みわ かおる)


No.41 『写すこと』/愛用カメラ−1 2001/8/6

写真に興味を持ち、関わって40年くらいになるだろうか。でも、僕は53歳。いつの間にか、何を置いてもカメラ・カメラと買い続けて、増えてきた。中には二軍のベンチ入りさえ叶わない機種もあり、たまには、一軍の陽の当たるところへの登場と、愛情を持って考えているのだが、身体は一つ。やはり、愛情不足かも‥‥‥‥。

しかし、僕の機材がこのように「結果として多くなってしまった」のは、満足のゆく作品を創りたいと、作品と同様、道具にこだわり続けた結果である。作画目的によっては、最後の最後は道具で決まりなのだ。腕の良い宮大工さんが日曜大工用の道具では、十分に満足できる仕事が出来ないのと同じである。目的を持って、少しずつクオリティーの高い機材を求めてきた結果が、現在の姿なのだ。

しかし、クオリティーの高い機材は手触りも良いし、美しいし、存在感もあるし、満足感も違う。だから、高級カメラも売れるのだと思う。写真を撮っている人のタイプには2種類あるようだ。実用・常用にしない機材は身近に置かず、手放して(売って)しまうタイプ。一方で僕のように、一度入手したカメラは、思い入れや想い出があり過ぎて、手放せないタイプ。惚れ込んでしまったら、一途なのです。

僕の愛蔵カメラが狙われている。敵は身近にいる息子である。以前ライカM6をターゲットにされたので、コンタックスG1と45mmを提供した(誤魔化した)。考え方にはいろいろあるが、食えなくてもいいからと本気で写真家になる決心をしているなら、ライカであろうと、ハッセルブラッドであろうと、親バカな僕は抵抗なく渡しただろう。しかし、そこまでの決心が見えない今、10年、いや20年早い!と言っている。。人生を掛けて、このカメラならではこその作品を撮る!と言うなら、借金してでも買ってやろうとするのが親かもしれない。でも、今はダメ。

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