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 No.44

三輪 薫(みわ かおる)


No.44 『生きること』/終戦記念日 2001/8/18

今年の首相の靖国神社への参拝や、全国戦没者追悼式での式辞は、例年になく話題を提供し、今更ながら「太平洋戦争とは何だったのか」を考えさせられた。様々な見解などが新聞やテレビに登場していたが、何が正しいことなのか、判断するのは難しい。戦後生れで平和な日本で生活している僕でも、世界の中で生きることの難しさを今更ながら考える日々だった。いまだに戦場となっている国もあるが、それに比べて誠に平和な国に生きていることは幸せである。

僕の亡き父は二十歳で召集を受け、後にも二回召集され、二十代の大半を戦地で過ごした。青春時代を戦争と共に生きてきたわけだ。義務教育を終えた後、塗師の親方に弟子入りしたので高学歴ではなく、階級は下。しかし、幸いと言ってははばかることかもしれないが、昭和19年には帰国して命を落さずに済んだ。僕が子供の頃、父の戦友が訪ねてくると、共に戦地で過ごした頃のことを懐かしそうに話していた。戦地での悲惨さは感じられなく、不思議な父達だと思っていたことがある。何度も負傷し、一つ間違っていれば僕など生れていないし、この戦争が何であったのかがおぼろげながらも感じていたからだ。親父は同じ境遇の方と慰めあっていたのかもしれない。嫌な思い出を語らず、青春時代をひたすら楽しく思い込ませようとしていたのだろうか。今となっては、聞く父もいない。

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