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 No.52

三輪 薫(みわ かおる)


No.52 『生きること』/日本の祭り−4 2001/9/8

風の盆の「ひとりごと」を読んでくれた奄美の人から「私も自分の集落の八月踊りの世話役をしていますが、自分達が楽しめない祭りは祭りではないと思います。郷土芸能は文化として残すべきで、お金に変えたらその時点で終わりです。15種類ある踊りを、50代になりすべてマスターし、歌詞をつたえて行く。容易な事ではありません。夏に一度の祭りを、今後とも大事に伝承して行きたいと思います。」とのEメールが届いた。

地元の人達の祭りを守り伝える事は並大抵ではないようだ。祭りも立派な文化のひとつである。特に過疎化した山村などでは、日本の大切な文化であり誇りとすべきものでも、何時の間にか徐々にすたれてしまう。観光化が進む祭りだけが生き残るのは余りにも寂しい。維持するためには予算や人出も必要である。山村などでは公共工事費と比べ、芸能や文化に対しての予算は十分に用意されているのだろうか。地元の人達だけに継承を押し付けても、守り続けるには限界がある。

日本が世界に誇れる代表的なものは、豊かな自然と文化である。それらをもっと認識してくれる政治家や役人を求めることも日本国民として忘れてはならないと思う。守り続けたいと思ってもすたれる祭りもある。映像として後世に残すテレビ局の役割は大きい。また、村を出た若者達が祭りの時だけでも帰郷でき、大切な日本の芸能などを守り伝えられるシステムを国や企業が用意することも必要で、それらに国家予算を割くべきである。その若者達や協力する企業への援助を惜しんではならない。そのような制度が生れることを望みたい。

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