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 No.55

三輪 薫(みわ かおる)


No.55 『生きること』/惨劇 2001/9/13

11日に起きたニューヨークの惨劇は、無防備に近い都市の危険性をさらけ出したものだった。同じようなことを書いた小説もあったと言うから、非現実的な出来事ではないのだろう。しかし、テレビの画面からはまるで映画のワンシーンでも見ているように感じた。凄いことを考え、実行する人達がいるものである。日本の神風特攻隊は外国の人達を震撼とさせたが、自らの考えで突入した若者はいなかったと思う。しかし、民族性の違いか今回は信じて疑わずの突入と考えられる。だからこそ恐ろしい。

このような時に犠牲になるのはいつも罪のない民衆である。大統領はテロではなく戦争だと言っていたが、太平洋戦争でも兵隊ではない戦争に直接関わってない町の人達が国内外で殺戮にあっている。日本も米国も加害者であり、被害者となっている現実を無視できない。強硬姿勢の米国もベトナム戦争などで行った悲惨な行為を棚に上げている一面もある。戦争とはこのようなものだろうか。世界的に見れば、のんびりと安全な生活を送っている無宗教に近い日本人には、宗教やイデオロギーに満ちた国の人々の考え方を理解するのは困難であろう。これらの国々の人は、我々の理解を超えた次元の歴史を引きずりながら暮してきたからである。

争いごとは貧富の差から生れるとも言う。今、中東地区が問題となっているが、時代が変わればこのような地域も移り変わってくると思う。21世紀にはいり、益々混迷の時代を迎えていると言ってもよいかもしれない。このような時代では世界は益々狭くなってくる。日本の現実を考えると、今の時代に結びつく過去の歴史を知り、学ぶことも大切なのだが、現実には現代史がおろそかにされている。もっと現実味のある勉強をどうしてしないのだろうか。

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