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 No.65

三輪 薫(みわ かおる)


No.65 『生きること』/失われゆくもの 2001/11/10

日本人の生活様式も西洋化され、日本独自の文化や社会の仕組みが徐々に変化している。僕が放浪の旅をしていた若い頃に訪れた町や村、写真学校時代に先生の助手として同行した東北・南会津の村などでは、地元の人達と都会の人々には明らかな風貌の違いが見られた。特に子供の表情には田舎の子らしい特徴があった。今は都会の中に紛れ込んでも見分けがつかないほどに変わってきたように感じる。

僕が生れ育った所は、岐阜県の山間の町「天下分け目の関ヶ原」。二十歳過ぎに上京して30年を過ぎた。しかし、住まいは郊外だがいまだに東京には身心とも溶けこめずに暮している。相模原へ20年ほど前に越してきた頃は、自宅の近所で畑なども多く目にした。今は住宅地や大型店舗や、高層マンションが建ち並ぶようになった。郊外の町でも大型店舗が多く進出し、車での生活には便利になっている。一方では、街の顔である「住民と心を繋ぐ商店」が姿を消す現実もある。その有様の変化と共に、人間的な暖かな心を持った街が死滅して行くようにも感じている。親しまれてきた所が次々に消えて行くのは、まことに寂しい限りだ。

生活に根ざした所、幼い頃の思い出となった所であれば尚更だろう。何でも超大資本に侵食されて行く様を見るのは辛い。

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