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 No.66

三輪 薫(みわ かおる)


No.66 『生きること』/失われゆくもの−2 2001/11/13

僕の小さい頃は八反(8アール)ほどの田圃を、耕運機ではなく牛で耕していた。農機具小屋ならぬ今から思うと立派な牛小屋があった。稲穂が色付き垂れるようになると犬を田圃の畔に長く伸ばした番線に繋ぎ、猪に踏み荒らされるのも防いでいた。畔に植えた豆を野ウサギに食べられないような仕掛けも用意していた。小学校では農繁期休暇などもあり、夕ご飯のおかずにもなったイナゴを獲ったりしていた。新聞の地方版では、もっと田舎の学校の生徒が獲ったイナゴを教材用の費用の一部に充てているニュースも毎年のように掲載されていた。この頃は近所の夕ご飯の内容も分かるほどの、近所付き合いが普通だった。ちょっと多めに用意し、お互いおすそ分けなど当たり前だったのだ。だから、親や祖父母達は自分の子供と近所の子供とは同じように思い、いたずらなどすれば分け隔てなく叱っていた。まことに「人間臭い」付き合いだったように思う。

しかし、今は無味乾燥の時代となった。我が家の区画は60所帯ほどの一軒家が所狭しと建ち並んでいるが、20年住んでいてもいまだに知らない家が多いのに我ながら驚く。日祭日も撮影会・写真教室などと忙しく、町内会などの行事に参加しない僕もいけないが、それでも過ぎて行く世の中なのだ。距離を置いていると煩わしさはないが、益々心の狭い社会となって行くような気がする。

僕等が子供の頃の遊び仲間は縦社会で、幼い子から中学生まで一緒のことが多かった。この子供の遊びの中で、社会生活のルールを身に付けてきたように思っている。今は縦ではなく横の世代での遊びや、家に閉じこもってテレビゲームなどに熱中する子が多いようで、お互いに学ぶことは少なくなってしまったかもしれない。

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