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 No.67

三輪 薫(みわ かおる)


No.67 『生きること』/失われゆくもの−3 2001/11/23

現代の若者はと言えば、皆同じような格好で何をするともなく座り込んでいる一見無気味に思える姿が見られる。一部の若者だが歳をとっている大人からすると、無礼千万な振る舞いをする者もいる。シルバーシートで大股開きで座り、大声でわめいたり携帯で話していたりと、数え上げたらきりがないほどだ。

しかし、今の社会ではストレスが鬱積しているのは、以外や若者達かもしれないのだ。一方では積極的に青春を謳歌している者達や、友達同志、暖かな心で接している者も多くいると思う。よい面は余り記憶に残らず、悪い面が目立つからだろうか、一部の目的意識に迷っている若者や、年配者を敬わない者達が槍玉に上げられているようにも感じている。とかく若者達が引き合いに出されるが、新聞の社会面などで「恥ずかしく、卑劣なことをして登場する者」は、一見立派な人格者的な人も目立つ。政治家、官僚、公務員、一流企業の代表者達である。これらの人達を差し置いて、若者達を責めるのは酷かもしれない。時代が変わって行動様式に変化が見られても、所詮やっていることは今も昔も同じことかもとも感じ、情けなくなることも多い。一人の人間として、まっとうに生きる難しさを再度考えて見たい気がする。

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