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 No.77

三輪 薫(みわ かおる)


No.77 「写すこと」/個展「風色」 2001/12/24

今回の個展は、自然風景を撮り始めてから、豊かな自然に囲まれて育った田舎出身の僕が、日本人として「心を写した写真」とはどのようなものであるかを長年考え、撮り続けてきたものを自分で確かめるためのものだった。このように自分を見詰めることをテーマとしたものが「テーマ」と呼べるかどうかは分からない。いままで開催した個展は、毎回同様の気持ちで臨んでいるのだが、「侘び寂の風景」に絞り、自然風景の作品としては初めてまとめて発表したものだった。

風景を撮り始める前には、自然を撮るには全く関係ないと思われる様々な分野をテーマにしていた。自分を見詰めなおすには日本の自然の中に身を置き、考え、感じたものを映像化するのが写真家として最も適した方法ではないかとも考えてきた。今まで開催の自然を対象にした個展は、今回のためのプロセスと言ってもよいものである。だからと言っていい加減に作品を発表してきたのではなく、1歩1歩自分の歩みを確かめてきた証と思っている。自分の足跡を眺め、振り返りながら今後の生き方を模索し、作品を通して自己確認している。この確認方法として個展を重要視し、会場で自分が撮った作品から受ける印象などから、今の自分を、過去の生き方、将来何をすべきかを模索している訳だ。

今回も来場者の方から「写真ではないみたい」と言う感想が聞かれた。僕は一貫として写真を自己表現のひとつの手段として考えてきた。僕にとって生き様を表現するのは写真でなくてもよいと考えている。しかし、残念ながら写真以外の文字や絵や音楽や踊りなどでは自分では表現できない。だからこそ、写真と言う表現手段で行っているに過ぎない。写真であって写真に見えなくても、感じて頂かなくてもおおいに結構という訳なのだ。写真に拘っていても、写真と言う手段に囚われない表現を目指している。狭い了見での表現に拘りを持つ気持ちは、毛頭持ち合わせてはいないつもりである。だからこそ、逆に写真と言う表現手段に深い拘りを持って撮り続けている。逆も真なり!、と思っている。

連日会場に詰めていると、求め続ける自分の世界も再確認でき、模索している表現のヒントも得られる。だから会期中は会場に詰めることにしている。新たなる気持ちで次への作品創作意欲がかきたてられるわけだ。答えが出ても出なくとも次への創作意欲が湧いてくる。

自然は心地よく、心休まるものでだ。自然の中に身を置いていると自分の人生を考える時間が持てる。写真展の開催は「自分自身を見て確かめる行為」と思っている。

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