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 No.107

三輪 薫(みわ かおる)


No.107 『写す』/さくら、桜、サクラ 2002/4/1

今年の桜の開花は異常気象のため早々と満開になり、のんびりと花を愛でる暇もないほどに散って行くようだ。しかし、今年はまだ桜の撮影は一度も行っていない。どうも、その気にならないのだから仕方がない。撮影には、気の持ちようも大切で、撮ればよい、と言うものではないと思っているからだ。

桜は、春を身体一杯、五感で感じ、楽しみ、愛でる花である。僕にとって、3月の季節にはまだ晩冬の姿を心に描いている。その表情を少し撮ってから、桜に向かうのが常となっている。体内時計ではまだ晩冬の気分が残っていて、先週は桜ではなく、残り雪を求めて出掛けた。桜は、その後で結構なのだ。感情移入が出来ないままに撮っても、何だかウソっぽい作品になりそうで、それが怖い。作品を通して作者の心の中が観る人の目に映ってしまい、誤魔化せないと思うからだ。今日から4月。心の準備もできてきたようで、明日から今月一杯桜を楽しもうと思っている。

桜も富士山同様難しい被写体である。今まで、目の当たりに見る桜より、作品の方が素晴らしく、ドキッとした写真には数えるくらいしか出合っていない。富士山は、とっくの昔に諦めることにしていた。存在が大きすぎ、僕には大変な被写体である。しかし、桜は日本人の一人として、心に染みいる作品を残したいと思っている。自分にしか撮れない桜の写真とは、いかなるものかを考え続けているのだが、未だに答えは見つかっていない。

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