三輪 薫(みわ かおる)
No.157 『生きる』/太く、長く、ねばり強く生きる 2002/12/31
今日は大晦日。テレビでは、年越し蕎麦を食べている様子が放映されていた。年越し蕎麦は「細く、長く、生きることが出来るように」との、願いを込めた風習のようだ。しかし、僕の子供の頃の岐阜県関ヶ原町の実家では、そのような風習はなく、すき焼きなどを食べていたような記憶がある。祖父が仕事帰りに牛肉を買ってくる...more
No.156 『創る』/アナログとデジタルの創造力 2002/12/31
カラー全盛の世の中であるが、モノクロ写真への関わりを捨ててはいないし、これからもずっと撮り、作品を創り続けて行くつもりである。また、カラーでは設備投資と設置場所の問題と時間がなくて自家処理は出来ないが、モノクロに関しては自分で行わないと気が済まない。
4年ごとに開催している「ファインプ...more
No.155 『車』/永く愛用したい道具としての車 2002/12/26
戦後の日本は車の生産で世界的な工業国になったと言ってもよいだろう。車の生産に関わる業種が多いからである。日本の車は、ヨーロッパ的ではなく、買い換えを頻繁にするアメリカ的な発想で今も造り続けている。車が短命なのは生産会社や部品などを供給する会社や、販売会社などには嬉しいことだろうが、長く乗り続けても...more
No.154 『車』/欲しい車が見つからない現実 2002/12/23
現在の撮影用の愛車は乗り続けて8年になるが、走行距離はやっと10万キロを越えたところだ。自然を撮るプロの中では、かなり少ない方だろう。この車は1ボックスカー。以前の車は天井が低く頭を頻繁に天井にぶつけていたので今度はハイルーフで、アイスバーンでも走行が安心なマニュアルミッションのガソリンエンジンタ...more
No.153 『車』/排ガス 2002/12/19
自然を撮るのはいいのだが、車で排ガスをまき散らしながらでは、自然破壊に手を貸していることにもなる。写真家によっては、数年で10万キロも走ると豪語し、自慢げに言う人もいる。多くがディーゼルエンジンの車である。では、ガソリン車ならいいかと言えば、違うと思う。ガソリン車でも前述のよう多く走れば、走行距離...more
No.152 『生きる』/「わの会」 2002/12/10
今、「わの会」の第2回目の写真展を有楽町駅前のドイフォトギャラリーで開催中だが、昨日の大雪の中でも結構な来場者があったと、世話人から連絡があった。嬉しいことだ。世の中には僕のように写真愛好家の方々とのお付き合いをしている写真家やカメラマンも多いと思うが、全ての人がその人を囲む会があるわけではなく、...more
No.151 『写す』/講師と生徒は一心同体 2002/12/3
巷のクラブにはアドバイスするプロの講師がいないところも多いようだ。僕もクラブとの付き合いが多いが、全て本音で付き合うことが出来るクラブであって欲しいと願っている。クラブ側が頼まれ講師と判断しているとしたら、講師の立場としては、やはり淋しいと思ってしまう。
つまり、お互いの意志疎通が心で繋が...more
No.150 『写す』/講師の選択 2002/11/22
自分の作品創りにも増して講師業に費やす日々が多いと、写真愛好家にとって役に立つアドバイザーとは、どの様なタイプなのだろうと思ってしまう。ゴルフなどのスポーツの分野で、その道の実践プロと、レッスンプロと言われる人がいる。他のスポーツの分野でも今一流の監督が、選手時代に超一流であったとは限らない。写真...more
No.149 『写す』/写真上達の早道 2002/11/14
今年度は、銀座で生徒さん4人の個展を開催することになり、二人が終わった。これらの人達は、僕が担当する写真教室やクラブ、主宰するワークショップなど、いくつも参加している方々が多い。それぞれ違う指導者のクラブや写真教室を渡り歩いている人ではない。別に僕と付き合うのがよいと言っているのではなく、指導を受...more
No.148 『写す』/自分流の作品 2002/11/4
僕の作風は地味である。愛用のフイルムは多銘柄に渡るが、晴れた日の逆光で鮮やかタイプのフイルムでPLフィルターを掛けて撮ることは少ない。どちらかと言えば晴れた日には気がつくと日陰で撮っている。紅葉時期には否応にも被写体は鮮やかで、逆光で見ると実際の被写体以上に色が増して見える。このように見える被写体を...more
No.147 『生きる』/売り込み 2002/11/4
若い頃、カメラ誌に所用があって出掛けた時、編集部に外国のカメラマンが自分の作品の売り込みに来ていて、その迫力に驚いたことがある。当時の僕にはそのような勇気がなく、売り込みへの気恥ずかしさを抱いていたのを覚えている。フリーであればこのような積極的な姿勢も大切だと思うが、僕には今でも大変な勇気がいるこ...more
No.146 『生きる』/ワールドカップと国技 2002/11/3
日本全国・全国民を沸かせた様に言われていたワールドカップも、今やその時ほど話題にはならなくなった。出場した多くの国々の選手と各地域の方々の触れ合いには有意義なこともあったが、今心配なのは各地に新設した競技場は一体どうなるのかということだ。随分お金も掛け、立派なものを造ったが、行政の箱ものと同様、維...more
No.145 『生きる』/しつこい性格とこだわり 2002/10/30
売り込みと商売が得手ではない僕は、一旦依頼されたことには徹底的に拘り、時間が許す限り懸命に考え抜く性分である。編集者やデザイナーなどにとっては嫌なタイプかも知れない。此の点は随分前から指摘されている。しかし、自分としては何事にも適当にとは出来なく、何時も本音で勝負したいと考えている結果のことなのだ...more
No.144 『写す』/見ることと、知ること 2002/10/10
写すという行為の中には、その前に対象をよく見て、何を写したいのかを自分自身が知り、確認することも大切と思っている。その「見る」行為に費やす時間はほんの一瞬であったり、かなりの長時間を有しなければ「知り、確認する」ことに繋がらないこともあると思っている。最後は「己を知る」と言うことだろうか。以前、あ...more
No.143 『生きる』/昭和の名曲の復活 2002/10/9
最近、僕らの世代が若い頃に聴いていた日本の「昭和の名曲」がカバーバージョンとして復活してヒットしている。歌っている本人達も、曲のみならず歌詞がよく、数十年前のヒット曲なのに、今聴いても新鮮だと言っている。本来、歌詞は曲と同様大切なもので、歌い継がれて行く名曲はどの曲も歌詞がよいと思う。先日見ていた...more
No.142 『写す』/フットワーク 2002/9/29
撮影にはフォットワークが大切と言われている。写真教室などで僕も言うことがある。しかし、僕自身は実にフットワークのよくない撮影スタイルを貫いている。昨日まで行っていた蓼科高原と乗鞍高原の撮影でも同様で、延べ4日間の撮影日数だったが、撮影箇所は実に少ない。27日など、山並みに惹かれ、ほぼ終日、早朝から...more
No.141 『写す』/美意識の放棄 2002/9/29
富士写真フイルム(株)のベルビアは世界最高のリバーサルフイルムであると思っている。以前、コダックのセミナーでさえも言い続けてきた。しかし、以外や使い方は難しく、使用目的を誤ると僕にとっては最悪に近いフイルムとなってしまう。見たよりも美しく鮮やかに写ればよいと言うものではなく、特に自然風景では、強調し過...more
No.140 『写す』/ファインプリント 2002/9/18
今回のファインプリント展は、1994 年に第1回目を開催し、4年毎に行い、今回で3回目である。ファインプリントを本格的に始めるに当たって自宅を改築し、世界有数の引伸機も5台揃えた。1994年の1回目は、通常のファインプリント同様のトーンの出し方、ハイエストライトからディープシャドウまでを出した作品を主体にし...more
No.139 『写す』/個展終了 2002/9/12
今回の個展は、会期中にビルの点検による休館日や悪天候もあったが、思ったより多くの方が来場し、無事終了した。遠くから飛行機や新幹線で駆けつけてくれた人や、何度も来てくれたり、その都度知人友人の方を連れてきてくれた人も随分多く、嬉しいことだった。
今回の個展のプリントを始める前は...more
No.138 『写す』/写真の常識 2002/9/9
写真には記録性と言った他の分野よりも優れた特徴がある。しかし、音楽や絵画や小説などと同様な表現媒体であるとも思っている。音楽には譜面があるが、演奏家やオーケストラの指揮者によって奏でられる表現には、同じ曲でも様々なものがある。写真も同じように基本となる写真のプロセスがあるが、撮る側の自由さをどれほ...more
No.137 『写す』/モノクロ写真展 2002/9/4
明日から3回目の「ファインアート・オリジナルプリント展」を開催する。今時では、モノクロ写真、しかもファインプリントの作品創りに邁進している人は少数派になっている。しかし、カラーやデジタル写真が世の大勢を占めつつある今日だからこそ、アナログ写真の本命とも言えるモノクロ写真に、長年僕なりの関わりを持ち...more
No.136 『写す』/美的な風景と写真 2002/9/1
現在、自然風景を20年以上撮り続けているが、様々なものにカメラを向けてきた僕にとっては自然風景とは随分長い付き合いのような気がする。大体10年近く撮り続けたら個展を開催し、また、次のテーマに取り掛かるという姿勢で生きてきた。勿論、同じテーマだけを追い続けるのではなく、途中からは同時進行で様々なテーマと...more
No.135 『写す』/情報写真と、感じさせる写真 2002/8/28
写真は真を写すと書くが、目の前の被写体を瞬時にして映像として記録できる便利なものである。この記録性を利用して、情報伝達の手段としても活用されている。しかし、作品として発表されていながら情報伝達としてしか魅力がないものも多い気がする。作品と説明的な情報の記録をした写真とは違うはずである。しかし、撮影...more
No.134 『写す』/記録と表現 2002/8/25
記録写真とはドキュメンタリー写真である。目の当たりに見た出会いを、有りのままに如何にシャッターチャンス良く切り取るかがポイントになる。社会の事件などを撮った写真でも報道写真やニュース写真、ルポルタージュフォトなどがあり、分けて見ることもある。有名人の行動やスキャンダルなどを追うパパラッチと呼ばれる...more
No.133 『写す』/写すと写るとの、大きな違い 2002/8/20
カメラの進歩に従い、間違いなく写ることが当たり前になっている。だからこそ、「写す」ことと「写る」こととの違いを心して考える時代になってきたと思う。以前、指名を受けて僕の作品で構成されたカレンダーが、「全国カレンダー展」で最高賞を受けたことがあった。この時多くの方にお送りしたのだが、真っ先に電話をく...more
No.132 『写す』/自分の心に響く作品創り 2002/8/11
若い頃には余り興味がなかった自然風景を撮り始め、いつの間にか20年を越えてしまった。不思議なものである。僕の作品創りは心象風景から始まり、人物、造形、ルポ、スナップ、花等を経て自然風景に移行してきた。フリーになって20年余り、その間に16回の個展も重ねてきた。ある時期には、次々と一見違う分野の個展...more
No.131 『写す』/作品審査 2002/8/6
写真などのコンテストの作品評価もスポーツなどの判定に似た部分があるが、表現レベルを比較するのは難しく、その評価はかなり曖昧なものと言えるかも知れない。明らかに表現レベルが違う作品であればプロなら誰が見ても同じような判断を引き出せるが、スポーツの陸上競技のようにタイムなどではっきりと判定できるもので...more
No.130 『生きる』/日本沈没-2 2002/7/31
今の政治家には、利益誘導を期待しているかに思えるから悲しい。二世三世などの議員が結構多く、族議員などと呼ばれている人達も多い。議員達が目先の利権を放棄したくなく、益々増やそうとしている現実を選挙民として直視しなければならない時に来ている。僕は田中角栄も鈴木宗男も好きではないし、全てをよく評価してい...more
No.129 『生きる』/日本沈没-1 2002/7/30
今、巷で政治家や役人などの不祥事の話題には事欠かない。しかし、このようなことは政治家や役人など、一部かも知れないが大なり小なり行っているのではないだろうか。このような事柄に対して、当事者達は国民が納得する答えを示して欲しい。だが、現実にはやましい心がある人が多いのだろうか、特定の人の攻撃には積極的...more
No.128 『スポーツ』/ルールの不思議 2002/7/23
スポーツにはルールがある。しかし、サッカーはともかく、人気の野球にはどうして球場のグランドの大きさやフェンスの高さが決まっていないのだろうか。サッカーで競技場によってピッチのサイズが違うなどとは聞いたことがない。しかし、野球は球場によってホームベースから外野フェンスまでの距離は様々で、各球場の実測...more
No.127 『スポーツ』/スポーツの魅力と疑問 2002/7/22
今の僕はスポーツにはのめり込むほどの興味はなく、人並みの関心を抱くくらいだ。子供の頃はソフトボールに精を出していたこともあったが、グローブを持っていなかったため、補欠の友達のを借りていた。しかし、何時まで待っても試合に出られない友達が帰ると言い出すと、そのグローブも当然の事ながら持ち帰るため困った...more
No.126 『生きる』/決断力 2002/7/17
前回の「風」の屋久島ツアーでも感じたことだが、アクシデントの時には決断力が必要である。この屋久島ツアーでは、屋久島上空に来ていた飛行機も結局悪天候で鹿児島空港に引き返した。その後の便も次々と欠航となり、先に行っていた僕たちと近畿日本ツーリスト(株)の東京の担当者と、引率代表の森田治男さんと相互に連絡を...more
No.125 『自然』/雨の屋久島と人の出会い 2002/7/16
屋久島は一年で400日雨が降ると言われる所である。毎日何処かで雨が降っているのだろうか。だからこそ巨大な屋久杉が育ち何千年と生き続けることが出来るのだろう。先日のフォトワークショップ「風」のツアーでは、初日と二日目は豪雨だった。最終日には晴れた。しかし、晴れてしまうと雨の中で見ていた屋久島の自然の姿と...more
No.124 『生きる』/人生の選択 2002/7/9
人は生まれることと自然に死ぬこと以外、自分で自分の人生を選択できると思っている。勿論小さな頃では与えられた環境の中での限界はある。以前の職場で同僚に対して「あの人は生まれもよく、お金持ちだから気ままに生きられるのだ」という言葉を聞いたことがあった。それも事実だろう。しかし、他人からは恵まれている...more
No.123 『生きる』/望みを託す人生 2002/7/3
人の一生の時間は、宇宙的にはほんの僅かである。そう考えると人の名誉も地位や財産を得ることなどに執着することも、何故か空しく感じるのは僕だけではないだろう。勿論、余程卓越した人でない限りはそれらのものを欲しいと思っても不思議ではなく、僕も同様である。しかし、短い一生、精一杯充実した人生を過ごし、悔...more
No.122 『生きる』/歳を重ねること 2002/7/1
先日54歳の誕生日を迎えた。息子から嬉しいFAX、娘が電話をくれた。小さなケーキを前にして妻と二人で誕生日を迎えるのも幸せというものだろう。子供の頃から勝手気ままに生きてきたが、50歳を半ばにして人生を振り返ってみると、楽しかったこと、悔しかったこと、後悔など、走馬燈のように思い起こされてくる。...more
No.121 『自然』/自然汚染に手を貸す山小屋 2002/6/25
先日山小屋の話を書いたばかりだが、新聞に尾瀬の長蔵小屋がゴミの不法投棄を繰り返していた記事が載っていた。やはりと言わざるを得ない。発泡スチロール、配水管、廃材、廃プラスチィック、空き缶、ガラスくず、などなど。数十トンものひどさである。ばれての反省が十日間の営業の自粛とは呆れたものだ。自粛ではなく、...more
No.120 『自然』/屋久島ツアー 2002/6/25
21〜23日に「わの会」会員がメンバーのフォトワークショップ「風」のツアーで屋久島に行って来た。久しぶりに訪れる屋久島のため僕は20日に行き、ロケハン。一足先に行ったのだが、21日に14名の皆さんが鹿児島空港で乗り継いで屋久島上空に着いた時には豪雨で、結局鹿児島空港へ後戻り。次の便も、その次の便も欠航となり...more
No.119 『自然』/公共工事と自然破壊 2002/6/19
護岸工事と言う名の下に、自然に溢れた川を岸辺だけではなく川底までの全てをコンクリートで覆い尽くしたり、本当に必要かどうか疑問な堰を造る工事などが日本全国で行われているようだ。このような川には魚や虫が住めなくなり、景観的にも貧しさ漂う姿をさらけ出している。また、ゴルフ場も美しい芝を維持するため農薬散...more
No.118 『自然』/自然を保つことの難しさ 2002/6/10
日本の自然は世界的にも素晴らしいものだが、一大観光地となった所では人の手が入りすぎたり、人間のエゴのために自然バランスが崩れた場所が多くなっているように思う。
奥日光の小田代ヶ原では自家用車などの規制を始めて久しいが、保護の手が厚く、増えすぎた鹿のため柵を巡らし、木肌を鹿に食われな...more
No.117 『写す』/写真の拡大率 2002/6/5
コダックの考え方によるデータでは、写真のクオリティーを維持する拡大率はせいぜい5倍くらいまでと聞いたことがある。小型カメラではキャビネ相当で、それ以上では粒子が荒れて許容範囲に入るトーン再現が出来なくなる、との考え方であろう。これは正しい理論である。しかし、作画と表現を主体に考えると、もっと大きく...more
No.116 『自然』/観光地の展望台 2002/5/30
久しぶりに十和田湖を訪れ、展望台の一つである「瞰湖台」に行ったら立派な木製のデッキが出来ていた。手摺りは結構高く、急斜面に展開する素敵な崖下の木々を入れながら湖を撮るのは大変難しくなっていた。背が低い人では下を見下ろすことは困難で、ましてや俯瞰撮影は難しい。以前は2段になっていて、カメラマンは下...more
No.115 『自然』/自然破壊と開発 2002/5/22
先日の新聞に愛知県で開催される博覧会に、歌手のフミヤがプロデューサーを務めると出ていた。色々なことに能力を発揮している人だが、話題性も当然大きくなるだろう。先月、撮影の途中この博覧会が予定される場所を通ったが、自然豊かな木々がまぶしいほどの新緑の色に染まっていた。残り少なくなってきた雑木林が、ま...more
No.114 『自然』/管理と育成 2002/5/16
先月、群馬県榛名町にフォトコンテストの審査で行った折りに、「わの会」榛名支部の皆さんと一緒に撮影を楽しんできた。榛名湖の近くに湿原がある。昨年の「わの会」の『集いの会』の撮影会でも皆さんをご案内した所である。最近のことだろうがここの木々が伐採され、随分閑散としていた。また、残された木々の枝もかな...more
No.113 『写す』/富士山 2002/5/15
理由はともかくとして、日本一の山と言えば富士山である。しかし、いざカメラを向けてもなかなかどうして作品にはなってくれない。僕にとっては存在が大きすぎ、大変難しい被写体である。先日テレビで富士山を撮っているカメラマン達の姿と、それらの人達の富士山への取り組み方と作品を放映していた。途中から観たので...more
No.112 『写す』/定期的な個展 2002/5/3
先のカメラ誌の人曰く、「今の時代、三輪さんのように自らの企画で頻繁に個展を開催している写真家は少ない」。また、「今の多くの写真展は、見せ方にも作者としてのこだわりが少ないように思う」と。個展を開催することが全てではないが、僕はフォトジャーナリズムの分野の写真は別として、写真を作品として表現するには...more
No.111 『写す』/拡大して見せる表現 2002/4/29
絵画や彫刻などは創作目的によって号数やサイズを決定している。それらの作品は本などに掲載されると縮小されてしまうことが大半である。写真は逆で、拡大して表現する分野であり、作品によって理想的なサイズがあると思っている。それを遺憾なく出せるのが、オリジナルプリントを展示する写真展だ。また、写真は他の分野...more
No.110 『写す』/作品の見せ方や発表の仕方 2002/4/22
作家としての生き方や作品創りの方向性や、見せ方や発表の仕方には様々なものがある。僕が写真学生だった頃はフォトジャーナリズム全盛で、個展は別として印刷媒体での発表が全てのように言われ、思われていたような気がする。しかし、僕は将来は画家や版画家のようにオリジナルプリントの作品を創り、それを写真展で発表...more
No.109 『写す』/作品を見せる、観るこだわり 2002/4/18
先月に巡回展も終わった個展「風色」の銀座展での会場に、同業のプロ達が結構来てくれた。何故か共通した言葉があった。「三輪さん。額が良いねぇー」。この不景気なのに随分張り込んだ写真展を開催するなあ、と言うことだったような気がする。手作りの櫻材の額だった。僕もだが、同業者の写真展には余程仲良くない限りは...more
No.108 『生きる』/時代劇・大好き人間 2002/4/6
先日、都内から帰ってから録画しておいた「八丁堀の‥‥」を観て気休め。時代劇が大好きなので、最終回とは残念だった。今回の俳優がよいだけに特に心残りに感じている。次回からの時代劇番組放映も楽しみだが、役者がイマイチである。NHKの大河ドラマも現代調の演出や配役が受けていると言われているようだが、時代劇に...more
No.107 『写す』/さくら、桜、サクラ 2002/4/1
今年の桜の開花は異常気象のため早々と満開になり、のんびりと花を愛でる暇もないほどに散って行くようだ。しかし、今年はまだ桜の撮影は一度も行っていない。どうも、その気にならないのだから仕方がない。撮影には、気の持ちようも大切で、撮ればよい、と言うものではないと思っているからだ。...more
No.106 『写す』/写真の楽しみと作品創作の向上 2002/3/23
フォトワークショップ「風」は僕が、「昴」はメンバーが主宰している。その中には、僕が長年常任講師を務めていたあるクラブに所属していた人が何人かいる。僕がそのクラブの講師を退任することになり、共に作品創りの向上を目指すため、引き続き僕と付き合ってゆきたいと相談を受けた。それらの人が「わの会」会員に呼び...more
No.105 『写す』/個性溢れる作品 2002/3/20
今年から来年にかけて、フォトワークショップ「風」と「昴」のメンバー3人の個展開催が決定している。5月開催の黒田一郎さん、6月の岩崎ひろ子さん、来年3月の森田治男さんだ。それぞれに個性豊かな作風の作品でレベルも高く、熱心で真摯な気持ちで作品を創っている。このワークショップは、記録性を越えたその人な...more
No.104 『写す』/プロ作家の作品 2002/3/15
カメラという道具で撮る「写真」では、絵画などのようにタッチなどを自分独自のもので表すのは難しい。1枚の作品を見て、作者がわかれば凄いことだと思う。しかも、特別な被写体ではなく、花や自然なら尚更だ。音楽などでも、奏でられる音を聴いて演奏者が分かれば凄いことであるのと同じである。...more
No.103 『写す』/感動を呼ぶ作品 2002/3/12
先日、あるカメラ誌の方々を交えて話す機会があった。これからのカメラ誌の方向性や、魅力ある内容とは何か。そのためには、今何をすれば読者の支持を得られるだろうか、などと話し込んでいた。その話しの中で、僕は見られなかったある写真家の個展作品に話しが及んだ。その写真家を知る人達は、撮影現場の自然の厳しさ...more
No.102 『旅』−2/宿 2002/3/11
若い頃「旅」をしていた時の宿はユースホステルか、夜行列車か駅のベンチなどであった。お金が無かったからに過ぎないが、そのような旅でも結構楽しかった。ユースホステルでは「ミーティーング」と称されるものがあり、ペアレントが宿泊者達を集め語り合いの場をつくる。しかし、これは苦手だった。強制的に参加させら...more
No.101 『旅』/旅の宿 2002/3/6
撮影ツアーや撮影会などの企画や講師を担当することが多い。天候は運に任せるとして、撮影が終わってからの楽しみは温泉と夕食だろう。団体の食事は大抵宴会場で取ることになる。温泉は兎も角として、料理はどうして何処もかも同じようなメニューになってしまったのだろうか。物資の流通が発達したためか、山奥でも刺身...more
No.100 『写す』/人生を楽しむ写真 2002/2/28
余暇の時代、特に戦後の荒波の中で仕事仕事と追いまくられ、一途に生きてきた世代には、趣味を持たない、持てなかった方々が多い気がする。写真教室や写真愛好家のクラブなどには、このような方も結構いるようだ。趣味として入りやすく、気軽に楽しむことが出来る分野であるからだろう。...more
No.99 『写す』/健康を維持するネイチャーフォト 2002/2/25
「焦らず、急げ」の項で紹介の黒田さんは、自然写真を撮る前は胃腸が弱く今ほど元気ではなかったと言う。だから健康維持のため水戸市の自宅近くの「偕楽園公園」を奥さんと毎日のように早朝散歩していると言う。散歩しながら撮り続けた作品は、昨年秋に地元の水戸市での個展で発表し、今年5月には有楽町でも開催するこ...more
No.98 『生きること』/生きる信念と正義感 2002/2/23
人間誰でも正義感を持っている。しかし、串岡さんのように自分よりも大きな相手に向かって堂々と正義感だけで立ち向かうことは誰もができることではない。人間、弱い者ほど相手が強いと何も言えなく、何も出来なく、相手が自分よりも弱いと途端に強者となってしまうことがある。大きな会社の中の縦割りの人事構成では、...more
No.97 『生きること』/必要悪と、人間の弱さと、ズルさ 2002/2/13
企業の談合や今回の雪印などの行為は、会社にとって「必要悪」になっている節がある。当事者がもし何の疑問も悪いことだとも感じていないとしたら問題だが、そうではないだろう。しかし、自分の身を守り、そのために会社を守ることを大切と思っている人でも、やって良いことと悪いことがあり、だから歯止めをかけるため...more
No.96 『生きること』/内部告発 2002/2/10
先日新聞を読んでいたら知人の記事が載っていた。「内部告発で26年間仕事も昇進もなかった串岡さんが会社に提訴」
富山県の運送会社に勤める知人の串岡さんが会社の不正を知り、28年前にある新聞社に内部不正告発した行方と訴訟に踏み切ったいき...more
No.95 「見ること感じること」/旅で出会った日本の伝統工芸 2002/2/8
先月、名古屋で開催した個展「風色」の会場に数日詰めた後、写真学校時代にお世話になった方の墓参りを済ませ、降り積もった雪に覆われた実家の関ヶ原に里帰りした。そして、明くる日から東尋坊・越前・金沢・羽咋・輪島・親不知と北陸を回ったが、今回は久し振りの「温泉と海の幸を楽しむ旅」になった。...more
No.94 『生きること』/観光地の商売 2002/1/28
常任講師をしているクラブ撮影会で榛名湖に行ってきた。他の仕事もあり、今回は自分の車で現地に行き、参加者の皆さん35名と合流した。朝早く出掛けたので遅い朝食を湖畔の喫茶店で取ったのだが、実にひどい店だった。店内は掃除もしていないような有様で、テーブルの上も同様に感じた。同行の妻は出ようと言ったのだ...more
No.93 『生きること』−35/お酒 2002/1/24
ここ何年か外出先でお酒を飲む機会が格段に減っている。不景気風のせいもあるが、寂しいことには違いない。「お酒を飲むために飲む」と言った過ごし方をする余裕がないからでもある。悲しいかな、勤め人の方のように我々自由業の者は定められた休日はなく、不景気のこの時代には年中無休で働くしかないとも思っている。...more
No.92 『生きること』/焦らず、急げ 2002/1/20
先日、新聞のコラム欄で「ゆっくり急げ」という言葉を見つけた。ラテン語の訳の「ことわざ」で、『急ぐべき時には急げ、ゆっくりすべき時にはゆっくりしろ』と言うことだそうで、要は判断とバランスの問題だと言う。
写真愛好家のクラブや写真教室などで...more
No.91 『生きること』/世界レベルから見た階層 2002/1/17
先ほどテレビを見ていたら、「世界がもし100人の村だったら・・・」の話しが絵本になり、40万部も売れていると言うニュースを伝えていた。この物語は自分が置かれた立場を理解するには分かりやすく、不景気だと言われ、思いながらも、何と幸せな人生を歩んでいられるのかと、改めて思い知った。この本を買った40万...more
No.90 『生きること』/「世界がもし100人だったら・・・」の物語 2002/1/15
先日新年のEメールで「世界がもし100人だったら・・・」の物語を、知人から2002年幕明けのお祝いに転送してきた。この世に生きる者として、改めて考えさせられることが多い話しだった。送ってくれた知人同様、僕もこの物語を、すべての人と僕自身に「2002年の贈る言葉」にしたいと思っている。これは、他のメーリ...more
No.89 『生きること』/チャリティー写真展 2002/1/15
年末にプロの写真家の団体が企画した「チャリティー写真展」を、有楽町駅前の国際フォーラムや銀座の富士フォトサロンなどで大々的にやっていて、新聞にも報道されていた。僕は個展の真っ最中で見そこなってしまったが、富士フォトサロンでは、キャビネサイズか六切りの作品を額装し、1万円で販売していたそうだ。...more
No.88 『生きること』−31/生き様 2002/1/14
僕のプロ作家としてのデビューは、1976年に開催した個展「道道」(モノクロの画面比率[1:2]の心象風景)だった。当時は銀座のニコンサロンで個展を開催するのが夢であり、プロへの登竜門でもあった。上京した後、無事通り抜けることが出来、その後はルポ・都市・造型・花・自然風景など様様な被写体と表現に取り...more
No.87 「見ること感じること」/写真のトーン 2002/1/6
写真の素晴らしさは、記録性と共に、プリント上に再現された美しいトーンとグラデーションだと思っている。しかし、カラーでは鮮やかな色調に覆われた写真や、ハードトーンのモノクロ写真なども多い。アンセルアダムスはモノクロ写真で有名だが、晩年にプリントされた作品は、同じカットでも初期にプリントされたもの...more
No.86 「見ること感じること」/写真展 2002/1/6
写真展を観る楽しみには、オリジナルプリントが展示され、印刷による作品とは違った印象をうけることの魅力もある。写真は拡大して表現する世界。やはり作者がこの作品はこれくらいの大きさで見せたい、と言う表現の意思も伝わってくる。余程の印刷でない限りは、銀塩のプリントのほうが勝っている。だからトーンやグ...more
No.85 『生きること』/お互い様と助け合う心 2002/1/4
世間では高額なブランド品を扱うショップが人気だが、一方では極安ショップがもてはやされている。日本の人件費に見合った物を製造していては激安の販売はできなく、製造部門は海外に移ったり、海外の格安品が多く輸入されている。だから益々衰退する日本の企業やショップも増えている。束の間の家計の緊縮よりも、...more
No.84 『生きること』/今年の年賀状 2002/1/4
今年用の年賀状を作るときには、正直言って挨拶文をどうしようかと悩んだ。ニューヨークのテロのこともあるが、そのためにアフガン戦争も起こり、日本でも明るいニュースよりも暗いものが多かったからだ。しかし、正月くらい明るい気持ちで迎えたいし、過ごしていただきたいと思った。過去には去年よりも悲惨な年も...more
No.83 「写すこと」/有りのままに撮る 2002/1/3
自然を前にして撮影していると、人間が、自分が小さく感じることが多い。期待感や思いなども写し込みたいと願うのであるが、なかなかそうはゆかない。先日亡くなった指揮者の朝比奈さんの指揮哲学には共感を覚える。同様に「有りのままに撮りたい」と思いながら長年撮り続けているが、意外と難しい。誇張した描写や...more
No.82 『生きること』/職人仕事 2002/1/3
暮れの29日に世界最高齢の現役指揮者、朝比奈隆氏が亡くなった。朝比奈さんの生き方や、指揮者振り、奏でられる音に惚れ込み、追っかけをしていたフアンの方も多いと聞く。以前、サントリーホールでバッタリ出会った知人の編集者の方もそうだった。訃報を伝える新聞で知ったのだが、朝比奈さんは「指揮は職人仕事」...more
No.81 『生きること』/世の中に役に立つこと 2002/1/1
昨年8月15日深夜に、TBSの筑紫さんの番組でアンケートを行っていた。「あなたは、世の中に役立っていると思うか」と言う質問に対し、6割以上の人が「役立っていると思う」と答えていて、ほっとしたものだ。考え方はいろいろあるだろうが、国や世の中と言うほど大きなことにではなく、家族に対して「自分は役立っている」...more