Toppageへ
 No.113

三輪 薫(みわ かおる)


No.113 『写す』/富士山 2002/5/15

理由はともかくとして、日本一の山と言えば富士山である。しかし、いざカメラを向けてもなかなかどうして作品にはなってくれない。僕にとっては存在が大きすぎ、大変難しい被写体である。先日テレビで富士山を撮っているカメラマン達の姿と、それらの人達の富士山への取り組み方と作品を放映していた。途中から観たので一部の方しか観られなかったが、それぞれに富士山に対する想いの丈は僕には到底及ばないものだった。生き様の全てを富士山に注ぎ込んでいるように思えたからである。だからこそ、それらの人には素敵な出会いがあり、素晴らしい表情を見せてくれるのだと思わざるを得ない心境であった。

特に、No.1の富士山は、No.2の山から撮るのだと、北岳山頂から撮り続けている人の作品には、白川義員氏の作品にも見られるような神々しさが漂った姿が映し込まれていた。山頂近くへは徒歩で5時間余り、山小屋が近くにありながらテント生活をして山の空気感を肌で感じ取り、山頂からの撮影にはまた1時間掛けて歩く。毎回よき出会いがあるわけではなく、山の写真を撮る人達の苦労は麓派の僕などには計り知れないものがあり、敬服するばかりである。また、人生の全てを富士山の撮影に注ぎ込んでいる人達も紹介されていた。目を患い、奥さんが一心同体となって撮影に臨んでいたり、癌の宣告をものともせずに毎日富士山に向かっている姿などは、やはり月並みの思いだろうが感動ものであった。多少の経験やテクニックでは太刀打ちできないのが富士山への取り組みであるのだろう。たった1枚の作品に隠された“写し手の人生や思い入れ”などを想像しながら、作品を眺めてみるのも興味深く、嬉しいものがある。

戻る