Toppageへ
 No.114

三輪 薫(みわ かおる)


No.114 『自然』/管理と育成 2002/5/16

先月、群馬県榛名町にフォトコンテストの審査で行った折りに、「わの会」榛名支部の皆さんと一緒に撮影を楽しんできた。榛名湖の近くに湿原がある。昨年の「わの会」の『集いの会』の撮影会でも皆さんをご案内した所である。最近のことだろうがここの木々が伐採され、随分閑散としていた。また、残された木々の枝もかなり払われて、切り倒されたり、払われた幹や枝の山があちこちに積み上げられていた。どうしてそのようになったのか、会員の役場の職員も知らないと言う。湿原を維持するためなのか、害虫などがはびこって木々を守ためなのか、観光地として見晴しよく見栄えを重視したかったのか、理由はよく分からない。見通しがよくなったものの、記憶にある自然感はなくなり、まるで人工の公園のような姿になっていた。また、枝や細めの幹を切り落とされたため、撮影には不向きな姿になってしまった。幹や枝の切り口が目立ち、被写体としても魅力がなくなってしまったからである。この場所は、20年ほど前に自然風景を撮影し始めた時から度々訪れ、それ以来よく通い、作品も多く創ってきた所である。しかし、もう、暫くはカメラを向けることもないと思う。それ程の無惨な姿をさらけ出している。

以前、アメリカのヨセミテ国立公園へ通っていた時、山火事の跡を見たことがある。聞くところによると、アメリカでは人家が近くにない所で起きた自然発火の山火事には、消火活動をせず自然沈火を待つのだそうだ。長い自然サイクルの中では、このような山火事も自然回帰には必要と学術的に判断されたためらしい。最近多い日本の山火事や榛名湖の件に同じ事は言えないだろうが、自然を自然らしく有りのままに放置しておくことも大切であるに違いないとも思っている。広葉樹や落葉樹を伐採して保水力の低い杉などを植林し、成長した木々を皆伐し過ぎたツケが回り、山が荒れ、海までも汚染されている日本の現状もある。自然を自然のなすままに置いておく重要性も有り、何でも人の手を入れるばかりが全てではないと思う。万事が経済性優先の政策で、林業が衰退すれば荒れ放題のまま放置しておく悪循環のツケは大きい。

戻る