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 No.115

三輪 薫(みわ かおる)


No.115 『自然』/自然破壊と開発 2002/5/22

先日の新聞に愛知県で開催される博覧会に、歌手のフミヤがプロデューサーを務めると出ていた。色々なことに能力を発揮している人だが、話題性も当然大きくなるだろう。先月、撮影の途中この博覧会が予定される場所を通ったが、自然豊かな木々がまぶしいほどの新緑の色に染まっていた。残り少なくなってきた雑木林が、またもや簡単に切り倒されてしまう。30年程前の大阪で開催の「花の万博」も同様で、全てを伐採した跡に、どういう訳かどこからか持ってきた木を植えていたそうである。だったら今まで生息していた木々を切り倒すことはない。つかの間の博覧会のために、長年生き続けてきた自然をないがしろにする、してよいという理由は見あたらない。このような全くナンセンスな考え方が、何故支持されるのか理解に苦しむ。人間の横柄さを垣間見る思いがし、実家からは近かったが一度も行かなかった。本当に必要な博覧会とは何だろうか。

近所の広大な旧国鉄跡地は、現在大きなプロジェクトによって開発が進んでいる。この敷地や道路際にはとても素敵な巨木の桜が多く植わっていた。今は見事に切り倒されてしまい、他の街でも見ているように感じる。どうして残す設計計画をしないのか不思議である。工事の邪魔だから伐る。余りにも悲しい行動である。やはり新聞で見たのだが、渋谷区にあるマンションでは、見事な桜を伐らないで全戸から楽しめるように桜を囲む中庭を作って建てていた。嬉しい発想と設計であった。邪魔と思わず、大切、必要と考える逆の発想が欲しい。このような姿勢が、当たり前の世の中になれば嬉しいものである。

全国にはダムの建設によって沈んでしまう美しい木々や渓流も多い。今以上ダムが本当に必要なのか、数百年、数千年単位で考えた計画をして欲しいものだ。一度沈んでしまったら、もう後戻りは出来ないのだから。先月桜と新緑を撮影していた群馬県でもダムの工事が進められている所があった。地元では反対運動も行われていると聞いた。

有名人は影響力を持っている。話題性を提供するなら、壊す側ではなく、自然を自然として残す、守る側にも回ってほしいものだと願わずにはいられない。

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