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 No.119

三輪 薫(みわ かおる)


No.119 『自然』/公共工事と自然破壊 2002/6/19

護岸工事と言う名の下に、自然に溢れた川を岸辺だけではなく川底までの全てをコンクリートで覆い尽くしたり、本当に必要かどうか疑問な堰を造る工事などが日本全国で行われているようだ。このような川には魚や虫が住めなくなり、景観的にも貧しさ漂う姿をさらけ出している。また、ゴルフ場も美しい芝を維持するため農薬散布をして付近の環境汚染が指摘されて久しい。昆虫も生きようとしない場所になっていると聞いていたが、現在も同じだろうか。

過疎化した山村などでは暮らし向きも楽ではなく、楽ではないから若い人達が村を捨てて去って行く。残された人々は国から引き出す公共工事による人件費収入が頼りになる。地方の役人や政治家は、このような予算を国から引き出すことも仕事の一つになっているのだろう。まだまだ多く残されている自然溢れた村が、束の間のお金ほしさに自然をないがしろにしている様があちこちで繰り返されているようだ。日々の生活のためとは言え、何処かおかしいと思わざるを得ない。自然は一度いじると元には戻らないのだ。このまま行くと、世界に誇る素晴らしい日本の自然はいつの間にか昔の思い出話になってしまうかも知れない。過疎化対策にはこのような公共工事費をばらまく以外に方法はないのだろうか。以前書いたかも知れないが、ドイツでは莫大な予算を組んで、間違った工事をした川を元に戻すための工事を進め、川に魚を呼び戻しているという。どこかの国とは大違いである。

ある宿のオーナーの方に聞いた話だが、土建業のお客さんが「掘る必要もない道路を掘り、即、元の姿に戻す工事」を依頼されたことがあるという。余った予算を使い切るという単純な理由による工事である。余りにもばかばかしい依頼で、その方は断ったそうだ。しかし、誰かが受けて工事費を手に入れたことは間違いないだろう。我々の税金がこのような陳腐な工事にも使われているのかと思うと情けなくなる。自然破壊に手を貸す公共と言う名の工事も数々あると思う。狭い日本で広大な敷地を独占するゴルフ場も、寿命の短いダムなども、もう要らない。日本中で如何に自然が破壊されているかを考えたいものだ。

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