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 No.122

三輪 薫(みわ かおる)


No.122 『生きる』/歳を重ねること 2002/7/1

先日54歳の誕生日を迎えた。息子から嬉しいFAX、娘が電話をくれた。小さなケーキを前にして妻と二人で誕生日を迎えるのも幸せというものだろう。子供の頃から勝手気ままに生きてきたが、50歳を半ばにして人生を振り返ってみると、楽しかったこと、悔しかったこと、後悔など、走馬燈のように思い起こされてくる。

僕は自分が歩む人生は、自分で決めて生きてきた。子供の頃、父は僕の将来に対して言葉では何も助言してくれなかった。聞けば、自分の好きにすればよい、とだけ言うのが常だった。だからか、僕の子供が小学生の頃、同じ事を聞かれたが、父と同じ言葉しか子供に送れなかった。そのような親は他にはいなかったらしい。何故なのかと、子供は戸惑っていた。情けないかな、今も自分の子供達に助言すべき確かな言葉が見つからない。

僕は人並みに挫折感も味わってきたが、その挫折も今振り返ってみるとよい方向へと進む結果を生むことに繋がったような気がする。人生、何が幸いするかは生涯分からない。僕も順調に高校生活を送っていたら、今の自分はないと思っている。進学校だったので高校での勉強は大学受験のためだと思い、そのような勉強をすることに疑問を感じ、拒否し、家業を継いだ。4年経ち、また方向転換をして写真の世界に入り、何とか写真家人生を歩んできた。

勿論、真面目に勉強していたらもっと幸せで、充実した人生だったかも知れない。しかし、それでも今何とか生きているから不思議と思っている。また、出会う人は随分違っていただろうし、妻との結婚もなく、ちょっと魅力な子供達もいなかったかも知れない。今、僕を慕ってくれる多くの人達もいて幸せだと感じている。若い頃は、思い返すと大した事ではないことに悩むことも多いが、その中で学び身に付くことも一杯あると思っている。

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