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 No.123

三輪 薫(みわ かおる)


No.123 『生きる』/望みを託す人生 2002/7/3

人の一生の時間は、宇宙的にはほんの僅かである。そう考えると人の名誉も地位や財産を得ることなどに執着することも、何故か空しく感じるのは僕だけではないだろう。勿論、余程卓越した人でない限りはそれらのものを欲しいと思っても不思議ではなく、僕も同様である。しかし、短い一生、精一杯充実した人生を過ごし、悔いを残さないことこそ最高の生き方かも知れない。

物欲や名誉などを求めることを止め、真面目に生き、それなりの努力をし、やって来る運をタイミング良く掴めば、何となく望みを託せる人生になるような気がする。運とは幸運だけではない。悪運も捉え方やその後の対処の仕方で幸運に変化してくれることもある。自分には運がなかったと言う人は、ただ気づかなかっただけか、安住の人生を送ることを優先しただけと思う。僕にも経験がある。しかし後の祭りで、努力だけではなかなか浮かばれないのが人生だろう。この教訓を生かすことも大切と思って過ごしている。

人生の転機も色々あると思う。僕の転機は、高校進学時と卒業時。そして4年続けた家業を辞めて写真学校に進んだ時。名古屋でほぼ内定していたスタジオ勤務を急遽止めて上京して弟子入りした時。弟子の最中に結婚を決め、食うために写真学校に務めた時と突然退職した時。フリーになっても仕事は全くなく、1年余り作品創りで出掛けたり、ぶらぶらしていた時。またまた割と順調に仕事をしていた頃、稼ぐためだけの仕事を止めて作家としての活動に本腰を入れ始めた時、などなど、実に多くの転機を経て今日がある。

全て振り出しに戻すようなことか、順調な生活を自ら切り捨てるような無謀な行為だったように思う。しかし、それを実行できたのは、人生に後悔を残したくないと言う思いと決心、そして周りの方々の暖かい眼差しに恵まれていたからだと思っている。バカな奴だと思われても、何かやるのではと言う期待感を裏切らなければ、何とかなるような気がしている。しかし、妻はこのような生活不安を導く僕の行動に泣いた事がある。今の僕も、性懲りなく同じ事を繰り返している。

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