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 No.126

三輪 薫(みわ かおる)


No.126 『生きる』/決断力 2002/7/17

前回の「風」の屋久島ツアーでも感じたことだが、アクシデントの時には決断力が必要である。この屋久島ツアーでは、屋久島上空に来ていた飛行機も結局悪天候で鹿児島空港に引き返した。その後の便も次々と欠航となり、先に行っていた僕たちと近畿日本ツーリスト(株)の東京の担当者と、引率代表の森田治男さんと相互に連絡を取り合い、最終便に賭けるか船に切り替えるかの判断に迫られた。確実に屋久島へ皆さんを案内できる船便を選択し、急遽空港から港へのバスをチャーターし、何とか夕景の撮影には間に合った。

今回の「わの会」沖縄ツアーも添乗員がいなく、次々来る台風によって空の便の大半が欠航となり、帰京出来なくなった。このような大きなアクシデントで、多くの人を対象とすると、リーダーにはしっかりした「決断力」も要求される。個人で行っていても大変なのに、グループでは事務的なことばかりではなく、精神的にも様々な配慮も必要となり、思い切った「賭」的な決断力も必要だ。しかし、サイコロを振るようにとは、簡単には決められない。決断力に欠ける僕は何度となく妻と口論になってしまった。自分たちだけならまだよいのだが、他の人達がいると悩んでしまい、たださえ決断力の乏しい僕には厳しい体験だった。

最終日の早朝撮影後、念のため空港に立ち寄って欠航を知った。即キャンセル待ちをして一部の人だけだが東京への直行便に乗れたが半数は残された。講師として行っていた僕も、次の日からの仕事のため、共に帰りたかったのが本音である。しかし、まだ半日の撮影スケジュールが残っていて、責任上帰ることは出来ない。残された人達と共に開き直って撮影を続行したが、皆さんの気持ちは優しく、その後も楽しく過ごせ、精神的には随分助かった。結局、石垣島と那覇で2泊するはめになり、少しの時間の責任を果たす事によって生じた、その後も延々と続くキャンセル待ちの時間の浪費と滞在経費の代償は高く付いてしまった。しかし、後悔はない。

僕たちが那覇からの帰京時、第1便が羽田ではなく伊丹空港に着陸する可能性が高いと空港の係員に言われ、当日の午後からの写真教室のことを考え、石橋を渡る気持ちで安全と確実性に賭け、昼頃の便で羽田に帰った。那覇空港では離陸も遅れ、羽田空港も欠航の影響で殺到する飛行機によってスムーズには着陸できなく、益々到着が遅れた。しかし、キヤノンの受講生の方々は、僕の到着が1時間半も遅れてもじっと我慢で待っていてくれ、何一つ苦情もなく、逆にねぎらいの言葉が返ってきた。実に嬉しいことだった。

今回のツアーには当てはまらないが、クラブや仲間同志の撮影会やツアーでは、どの様なことがあっても、参加者はリーダーの指示に賛同し、行動を最後まで共にする覚悟と優しい気持ちでの結束が必要だ。リーダーにとって、よくて当たり前、悪い場合は恨まれる、では、たまらない。皆さんの協力あってこそ、楽しい撮影会やツアーになるのだから。「わの会」やクラブの運営も同じで、幹事や世話人の方々の苦労は、他の方には分からないことも多い。それらの方々には、感謝、感謝!である。

個人の撮影行にも言え、予定していた場所にフィット感が生まれない場合、次に何処に行くのがベストかを判断しなければならない。全く「賭」である。賭と言えば、人生も同じ。だから、面白いとも言える。僕の人生は、益々面白くなりそうだ。

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