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 No.127

三輪 薫(みわ かおる)


No.127 『スポーツ』/スポーツの魅力と疑問 2002/7/22

今の僕はスポーツにはのめり込むほどの興味はなく、人並みの関心を抱くくらいだ。子供の頃はソフトボールに精を出していたこともあったが、グローブを持っていなかったため、補欠の友達のを借りていた。しかし、何時まで待っても試合に出られない友達が帰ると言い出すと、そのグローブも当然の事ながら持ち帰るため困った思い出がある。中学生の頃はバスケットボール部に所属していた。連戦連敗同然のチームだったが、先輩にはしごかれた。三年生でレギュラーになり、逆にしごく立場に立ったが出来なかった。まあまあのポイントゲッターだったことや、皆仲良しだったこともあり、楽しい思い出は残っている。

小さい頃はテレビがなく、ラジオで聴く相撲も好きで、駄菓子屋さんでブロマイドを買ったりしていた。明武谷と言う力士など、細身でありながら、自分より大きな力士を土俵際で吊り出す醍醐味がたまらなかった。今は引退している舞の海などは、最もファンを楽しませてくれた力士だと思う。相撲の世界に柔道のような体重制など導入したら、興味が半減どころではなくなってしまうだろう。ワールドカップも終わって誤審も話題に残ったが、人間のする事には間違いもある。しかし、高額年俸の選手を判定する審判の評価・年俸がどの分野でも低すぎるのは何故だろうか。低いから誤審もつきものとは言わないが、もっと高額にしたら判定基準も、監督や選手などの審判に対する態度も違ってくるのではないだろうか。野球など見ていると、監督は審判を尊敬しているとはとても思えない。時には軽んじているようにさえ思える。スポーツにはルールがあり、ルールに沿って競技を行ってこそ見応えがある試合や競技になるのだ。審判と言えば相撲の世界はまことに不思議である。行司は中立の立場ではなく、部屋に属している。その行司が同じ部屋の力士と違う部屋の力士が戦う時も立ち会って、判定をしている。また、部屋の親方同士が集まって行司の判定を時には覆す審判委員などを務めている。どう考えてもおかしなシステムである。

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