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 No.129

三輪 薫(みわ かおる)


No.129 『生きる』/日本沈没-1 2002/7/30

今、巷で政治家や役人などの不祥事の話題には事欠かない。しかし、このようなことは政治家や役人など、一部かも知れないが大なり小なり行っているのではないだろうか。このような事柄に対して、当事者達は国民が納得する答えを示して欲しい。だが、現実にはやましい心がある人が多いのだろうか、特定の人の攻撃には積極的だが、自分のことを国民に全てをさらけ出そうとする政治家や役人は残念だがいない。野党議員も追求すると同時に、自身の身の潔白を示して欲しい。それよりも今行わなければならない、もっと我々国民にとって重要なことがあるでしょう、と言いたい。自らの怠慢を隠すためか、マスコミが騒ぎそうな話題に熱心な議員やジャーナリストが多くて困る。本当に大切なことは、毎日何時間も掛けて追求し、自覚していない暢気な国民に知らせることこそ、野党議員・マスコミ・ジャナーリスト達の務めではないのだろうか。追求する側もマスコミも国民の味方を装ってはいるが、疑問を感じている全ての議員や役人や問題点に対して、同様な矛先を最後の最後まで追求しているかと言えば大変疑問である。多くの政治家や役人、そしてマスコミも含め自分の利権を守りたいのだろうと思ってしまう。毎日テレビに顔を出しているジャーナリストと自認、呼ばれている人にも言える。もう莫大な財産を蓄積したのだから、ここらで身を捨てる覚悟で本当の仕事をして欲しいと願う。高ギャラを稼ぐだけがジャーナリストの仕事ではないはずであるからだ。

天下りの財団法人なども問題になって実に久しいが、トカゲの尻尾切り程度しか改革は進まない。昔の日本には、日本の将来を憂えた人達が多くいたように思う。歴史に名を残す人達は、身を捨てて日本の将来に人生を掛けていたはずだ。なのに、先人の生き様が今や昔の語りぐさとなってはいても、当人達は何処吹く風と自分の保身や利己的な生き方に励んでいる人が多い気がする。本来、国には議員など必要ではないと考えている。国民の主権と平和と文化的健康的な生活を守る政府の役人がいれば、事足りるはずである。しかし、現実は悲しいかな厳しく、それらの役人の暴走を防ぐために政治家が存在しているような有様なのだ。なのに、官公庁の公務員を捨てて政治家になる、なりたがっている不思議な人達も多い。僕の常識では考えられない所行で、これらの人達は援護側の利益誘導のお先棒を担ぐ人達が多いのだから。ここには国民の姿など何処にもない。こんな天下り的な発想での議員が増えて来ると、日本も沈没しかねない。

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