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 No.135

三輪 薫(みわ かおる)


No.135 『写す』/情報写真と、感じさせる写真 2002/8/28

写真は真を写すと書くが、目の前の被写体を瞬時にして映像として記録できる便利なものである。この記録性を利用して、情報伝達の手段としても活用されている。しかし、作品として発表されていながら情報伝達としてしか魅力がないものも多い気がする。作品と説明的な情報の記録をした写真とは違うはずである。しかし、撮影者が作品と思っていても、その写真を見る側が単なる情報以上の魅力を感じなければ作品とは言えないだろう。この判断は人様様で一概には判定できないが、ただ撮っただけにしか見えないような作品ではない表現をするためには、安易な姿勢ではなく作者自身が深く考えて取り組まないといけないと思っている。昔と違って簡単に写ってしまう今は、単に美しかったり、フィルムの色などの効果によってインパクトがあるように見せられると、つい、素晴らしく感じてしまうこともある。

世の中にある様々な被写体をカメラで記録するのも大切なことだが、情報としての写真を撮るのは取材費用と時間があれば簡単なことである。しかし、その写真から語りかけてくるものは少ないと思う。魅力のある写真とは、その写真の中から何かを訴えかけてきたり、何かを感じさせるものが沸々と出てくるのものと思っている。だから、見慣れた被写体を撮り、その映像から発散されるものから、人に何らかの感化・影響を与える事は難しいことだ。1枚の写真を見て感動し、心の奥深くに何時までも焼き付いて離れないような印象深い映像などは、情報を越えた作品としてのレベルに昇華していると言えよう。そこまで行かなくても、心が和み、束の間の気持ちよさを感じさせたり、心が洗われるようなものを与えたり、可愛い子供の写真のように、個人が楽しむアルバム写真を越えて多くの人に喜びや楽しさを与える写真なども、表現された作品と言ってもよいと思う。それらの効果や影響が大きくても小さくても、人の心を動かす作画によって写された作品は魅力がある。

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