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 No.137

三輪 薫(みわ かおる)


No.137 『写す』/モノクロ写真展 2002/9/4

明日から3回目の「ファインアート・オリジナルプリント展」を開催する。今時では、モノクロ写真、しかもファインプリントの作品創りに邁進している人は少数派になっている。しかし、カラーやデジタル写真が世の大勢を占めつつある今日だからこそ、アナログ写真の本命とも言えるモノクロ写真に、長年僕なりの関わりを持ち続けている。

と、言いながらもデジタル写真にも興味が尽きず、カメラやパソコンを買い込んで取り組んでいるのだから、自分としても面白く、不思議と思っている。コンパクトカメラではなく、レンズ交換式のデジタルカメラが発売になり、何とか入手できる価格になって登場したのがキヤノンEOS D-30で、発売後割と早く購入した。以来、アナログと同様に撮り続けている。来年には個展も開催したいと、明日に迫ったモノクロ写真展のプリント中にも関わらず、準備をしていたところだ。しかし、今の僕は撮る人。身近の良きアドバイザーにプリントを任せ、指示のみしているのが現状である。食わず嫌いという言葉がある。写真も同じで、アナログとデジタルも平行して作品創りをしていると両方のよさが分かる。よさと言うよりも、それぞれの特徴や奥深い表現世界が実体験として分かり、理解が深まるほど全ての探求の仕方や物事の考え方なども変わってくるような気がする。モノクロも同じで、本当のカラー写真のよさや特徴などを作品創りに生かすにはモノクロ写真を研究することによって、より深くカラーの世界を理解できるとも思っている。モノクロ写真は絵画で言うデッサンやクロッキーに相当する表現の基礎を作り、写真創作の鍛錬には必要だと思っているからだ。

撮影分野の関係も同様で、様々なことを経験した上で、それらの体験や作品創りを通して得たことを、今取り組んでいる分野に生かしてみたいと考え続けてきた。何を撮っても表現することには変わりはない。様々なことを行ってこそ、他の人とは違う独自の考え方や作画と表現方法などが身に付くと考えているからだ。表現者である小説家や俳優などに、職歴がびっくりするほど多い人がいる。結果として、その方の現在の生き様や表現の仕方にもそれらの経験が反映されているのではないだろうか。

色のないモノクロ写真には興味が尽きない。色が直接に見えないからこそ、画像の裏側に隠されている本当の色を感じるのではないかとも考えている。押しつけの色ではなく、モノクロ画像を観る人それぞれ各自の残像や記憶の色に染めて観る楽しみもあるからだ。写真の印画紙には画質と呼ばれているものがある。光沢・半光沢・マットなどである。しかし、現在のカラープリントには、以前と比べペーパーの銘柄が少なくなっている。だからか、カラーでは表現の幅が狭まってきたような気がしてならない。その点モノクロには、まだまだ多くの印画紙がある。ファインプリントの世界では、これらの印画紙や引伸機や引き伸ばしレンズなどの機器や薬品や液温などによって微妙なトーンや色調の再現性の違いを生かすことも大切で、一般的なモノクロ写真とは一線を画している。同じ曲でも演奏家によって表現が変わり、様々な印象を与えるのと似ていると思う。
 デジタル世界はプリント出来る素材が限定されなくなり、アナログに比べると表現の幅が広がってきた。だからデジタル写真は益々面白くなり、興味も尽きないのだ。モノクロ写真に興味を抱き、色のない世界に潜む色から発散される魅力的な世界を知ることは、「美意識」を鍛えるためにも役に立つと信じている。

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