Toppageへ
 No.142

三輪 薫(みわ かおる)


No.142 『写す』/フットワーク 2002/9/29

撮影にはフォットワークが大切と言われている。写真教室などで僕も言うことがある。しかし、僕自身は実にフットワークのよくない撮影スタイルを貫いている。昨日まで行っていた蓼科高原と乗鞍高原の撮影でも同様で、延べ4日間の撮影日数だったが、撮影箇所は実に少ない。27日など、山並みに惹かれ、ほぼ終日、早朝から日没まで撮り続けていた。時間と共に表情や色合いが変化して、目を離せなくなってしまったからだ。

フィット感の高い場所には居続け、納得できるまで撮り、眺め、また撮り続けるという繰り返しなのだ。限られた時間で多くのバリエーションのカットを撮ることには魅力もある。しかし、多くの場面を撮ったから良い作品に結びつくとは限らない。僕は多くの場面を望まず、クオリティーの高い作画への期待感を優先させている。そのためには出会いの多さだけではなく、同じ場所で同じ被写体を、全知全能を傾け、生涯に残すことが出来る作品を創るために、自分にたっぷりと時間を与えることにしているわけだ。年間を通して多く撮影時間を費やしても、所詮自分の心に残り納得できるレベルでの作品など多くは期待できないことを、過去の経験から学んでいるからだ。

そのような僕の撮影スタイルに感化されたかどうかは知らないが、写真教室やクラブ等でお付き合いのある方達には、僕と似た撮影法の人が以外と多い気がする。一概には言えないけれど、そのようなスタイルを貫いている方の作品には、自分の世界を表現していると思われる作品が目立つ。同じ場所で撮っても、他の人とは違う作品が生まれている。特に自然風景などは、カメラという道具を使って撮ると、プロも含め作品が似通ってくるのは必然であり、混ぜこぜにしたら誰の作品か見分けが付かなくとも不思議ではない。しかし、表現された作品では、およその作者の見当が付く。これが写真の魅力だろうと思っている。時代を超えて魅了される作品創りへの取り組み方を、もっと真剣に、真摯に考えてもよいと思うが如何だろうか。

戻る