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 No.146

三輪 薫(みわ かおる)


No.146 『生きる』/ワールドカップと国技 2002/11/3

日本全国・全国民を沸かせた様に言われていたワールドカップも、今やその時ほど話題にはならなくなった。出場した多くの国々の選手と各地域の方々の触れ合いには有意義なこともあったが、今心配なのは各地に新設した競技場は一体どうなるのかということだ。随分お金も掛け、立派なものを造ったが、行政の箱ものと同様、維持管理等や活用にはお荷物になるような気がする。またまた、血税をこのような束の間のために造った箱物の維持に使われるのかと思うと、げんなりしてしまう。

僕が本当に気になっていたのは、この箱物ではなく今回の呼び名であった。日韓ではなく、日本で開催するものに対しても「韓日」であったことだ。他の国などとのこのようなイベントや政治的なことでは、日本で開催するものに対しては必ず「日米」「日中」などと、日本が先に表示される。何故、今回に限り韓国の名前が先に表示されて、ジャーナリズムも含め、疑問も感じなく連呼していたのだろうか。まことに日本人、いや日本の国家として不思議でならなかった。日本は何時から韓国の属国になってしまったのだろうか。

今、国技であったはずの柔道も、もはや日本の国技ではなくなっている。世界的なスポーツとして認知されたのは嬉しいことだが、柔道は永久に日本の国技であって欲しいと思う。世界が認める日本の国技なら、連盟の役員のトップは当然日本人であるべきだと思うが、今や韓国の人だという。だからか韓国が提案した青い柔道着が導入されてしまった。日本の国技であると言うなら絶対導入するべきではなかったと思っている。たった二人が対戦するのだから、柔道着を色分しなければ判定に困ることはないはずである。大勢で戦うサッカーとは違うのだ。また、マットではなく、畳でよいではないか。現在の日本の柔道場の多くもマットになってしまったのだろうか。

例えば、日本の相撲が柔道のように世界的に発展したら、今のお相撲さんにもトレーナーの上から廻しを締めさせるつもりなのだろうか。このような現状にした今の日本の柔道界の役員は、日本を売り飛ばしたに等しい屈辱的な行為であるはずなのに、政府のトップもジャーナリズムも異議を唱えない情けなさである。現実には、日本は韓国に嘗められている。日本は、何時まで日本でいられるのだろうかと心配になってくるのは、僕だけだろうか。売名行為や金銭欲にほとばしっていると思われる毎日テレビに登場の一部のジャーナリストにも期待は持てない。

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