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 No.150

三輪 薫(みわ かおる)


No.150 『写す』/講師の選択 2002/11/22

自分の作品創りにも増して講師業に費やす日々が多いと、写真愛好家にとって役に立つアドバイザーとは、どの様なタイプなのだろうと思ってしまう。ゴルフなどのスポーツの分野で、その道の実践プロと、レッスンプロと言われる人がいる。他のスポーツの分野でも今一流の監督が、選手時代に超一流であったとは限らない。写真の世界ではどうだろうか。

写真は表現の世界で、アドバイスだけでは伝えきれないことも多く、やはり自分の作品を出来るだけ多く、皆さんにさらけ出すことも大事だと思う。その人の作風に惹かれ、共感を覚えると、その人のアドバイスも本音として受け留めることが出来ると考えるからだ。表現世界には真実はなく、その時代時代によって評価は変わる。だから、今、評価されている写真家のブレーンが、当然のことながら多くなるのだろう。だからと言ってそれが真実を伝え、期待できることでもないと思う。この辺りの判断をしっかりしないと自分を見失うことにも繋がってくるだろう。寄らば大樹の精神で向かうのもよし。そのようなことには我関せず、ひたすら自分自身の追求に邁進するのも一つの選択で、いずれが自分にとって正しいことかなど、終生分かるはずはないと思う。

僕のように世の中の流れなどに乗らず(乗れず)、自分は自分だと思っている人の元に集まる人達は、「わの会」のように『人の出会いを楽しむことに、人生の喜びを見いだす人』が多い気がする。写真界の、特に自然写真を撮る分野のアウトローを自認する僕と親しくなっても、フォトコンテストなどに入選しやすくなる訳ではなく、親しくなればなるほど、それらの人達には厳しく対応してしまうことが多い気がする。以前にも、本人にとって、考えようによっては嬉しい悲哀を味わった人もいたが、自分の世界を創り上げているから面白い。そのような人は、不思議と何処に行っても通用するレベルに達している。講師は受講生を選ぶことが出来ないが、受講生にとっては講師の選択は自由だ。

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