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 No.151

三輪 薫(みわ かおる)


No.151 『写す』/講師と生徒は一心同体 2002/12/3

巷のクラブにはアドバイスするプロの講師がいないところも多いようだ。僕もクラブとの付き合いが多いが、全て本音で付き合うことが出来るクラブであって欲しいと願っている。クラブ側が頼まれ講師と判断しているとしたら、講師の立場としては、やはり淋しいと思ってしまう。

つまり、お互いの意志疎通が心で繋がっているかが大切なような気がする。四面楚歌とは言えないまでも、講師としてクラブのことを知り、知らされることが当然と思う、結構大切な事柄を無しのつぶてにしてくれるクラブもたまにはある。人の心は簡単には読めなく、難しいものである。このようなことが一度でもあると、以後、何故か心の何処かで距離を置き、醒めて観てしまう。一方、何かと相談され、頼れれば心も動く。このように何事にも相談してくれるクラブには、人ごとではなく全てが自分の事のように思えてくるから不思議である。何でも本音で付き合うのが気楽で、ベストと思っているが如何だろうか。講師とクラブ員との関係は、コマーシャルのスポンサーとカメラマンやデザイナーとの関係に似たところがある。よい意味で計算外の「等価交換」の精神である。片方が一方より期待感が大きいなど、両者のバランスが均衡でないと本音での付き合いは出来ないのが現代のバランスだと思う。

その点「わの会」は、よい意味で大変バランスのよい会だと思っている。特に世話人の方々は、目先の自分の利益ではなく、会員の人生の楽しみを優先させるボランティアに勤しんでいるのが現状である。しかし、知らず知らずの内に自分にとって目指す方向へと、自らを導くことに繋がっているようにも感じている。

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