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 No.155

三輪 薫(みわ かおる)


No.155 『車』/永く愛用したい道具としての車 2002/12/26

戦後の日本は車の生産で世界的な工業国になったと言ってもよいだろう。車の生産に関わる業種が多いからである。日本の車は、ヨーロッパ的ではなく、買い換えを頻繁にするアメリカ的な発想で今も造り続けている。車が短命なのは生産会社や部品などを供給する会社や、販売会社などには嬉しいことだろうが、長く乗り続けても古さを感じなく、ずっと乗り続けていたいという愛着が持てる車がどれだけあるのか疑問だ。

カメラ機材にも共通性があるが、車は高額であると言うことも理由の一つで、使い捨て感覚で買い換え出来ないし、その気にもなれない。しかし、国産車には短命な賞味期限があるという話を聞いたことがある。道具としての完成度が高く、クオリティーの高いカメラ機材は、何十年使い込んでも愛着は増すばかりである。車も同じで、細かな部品まで長年の使用に耐えるような造りと、供給をする車種を世に出している企業は、長年の使用に自信を持っていると考えている。

かなり前だが評論家の三本氏が日本の車とヨーロッパの車との違いをテレビの新車情報の番組で述べていたのを記憶している。辛辣な言葉でズバリとメーカーの人に切り込んで行く小気味よい言葉の端端には、「乗用車は人を運ぶ道具である」と言う信念がはっきりと伝わってきた。僕も共感を覚え、何時の日かこのように惚れ込む車に出会い、購入したいと思い続けてきた。売れない写真家を自認する僕には遠い夢だったが、6年程前にフォルクスワーゲンのゴルフワゴンを思い切って購入した。日本の道路事情や我が家の狭い駐車場には合った車である。小さくてもきびきびと走る。ハンドルを握っても、ドアの開け閉めにもきしみもなく、イスも購入した当時と座り心地も変わっていない。実にしっかりした造りである。高速道路での安定感もよく、道路に食いつくように走り、急カーブを曲がる時にも安心感は高い。6年経った今でも、買った時と同様の思いがして、古さを感じたことはなく、7年目だと言うと皆さん驚く。

今まで随分多くの車を乗り継いできたが、これだけ永く乗るとガタが来たり、飽きてしまった。多分、それだけ乗れば十分という、賞味期限があるのだろうと思ってしまう。国産車に比べ多少は高いが、永く乗り、愛着も持ち続けることが出来、下取り価格も高いので、逆に安いと感じてしまうのはユーザー共有の思いだろう。ボルボもあこがれの車だが、本国では平均20年は乗り続けているという話だ。これが道具というものだろう。

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