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 No.157

三輪 薫(みわ かおる)


No.157 『生きる』/太く、長く、ねばり強く生きる 2002/12/31

今日は大晦日。テレビでは、年越し蕎麦を食べている様子が放映されていた。年越し蕎麦は「細く、長く、生きることが出来るように」との、願いを込めた風習のようだ。しかし、僕の子供の頃の岐阜県関ヶ原町の実家では、そのような風習はなく、すき焼きなどを食べていたような記憶がある。祖父が仕事帰りに牛肉を買ってくることが度々で、夕食が1週間で数回もすき焼きだったこともあった。

昨日の午後、市川市にある知人の歯科医院に治療で行った折り、有楽町でプリント用紙などを買った帰りに、東京国際フォーラム内の店で讃岐うどんを食べた。朝から何も食べていなかったこともあり、満ち足りた気分で帰ってきた。僕はうどんや蕎麦は大好きである。ここ数日は歯の調子が思わしくなく、大半うどんや雑炊などを食べて過ごしていた。治療が終わった後も、うどんとは我ながら面白い。

僕が焼きそばや日本蕎麦を食べたのは、多分、二十歳前後になってからだと思う。インスタントではないラーメンとの出会いも同じ頃だ。何かに付け、うどん、うどん、だった様な気がする。母に連れられて出かけた時、食事をしようということになった場合、「うどんでも食べようか」と母が言う。小さな頃は期待に胸を膨らませ、母親について行くと大衆食堂。そして、出てくるのは、素うどんだった。

小さな頃に外で食べた記憶があるのは、うどんか、お好み焼き。母は神戸生で生まれ育ち、母の長姉は神戸の街中で小さいながらも化粧品店を営んでいた。商売は忙しく、遊びに行っていても夕食は隣にあったお好み焼き屋になることが度々だった。その当時、関西でも焼きそばは少なかったのではないだろうか。実家でも、もっぱら焼きうどんだった。二十歳を過ぎて弟子入りのため上京し、店のメニューに焼きうどんを見つけた時は、何故か嬉しく、懐かしかった。

僕は今でも丼ものが好きで、自宅でも度々食べている。しかし、初めてカツ丼を食べたのは、高校生の頃だった。何故か何時も財布の中に数万円も入れていた金持ちの友人が、何かのお礼にとおごってくれた。カツ丼を食べる度に、この時の記憶が鮮明に蘇ってくる。

僕の得意料理は、すき焼きとお好み焼きだ。年期が入っている。今は家を出て、それぞれに社会人となっている子供達が、久しぶりに帰ってきた時、僕にリクエストするのも、お好み焼き。長男が、愛知県の全寮制の高校にいた時、文化祭でお好み焼き屋を出すからと頼まれ、三輪薫流レシピをFAXした、嬉しく懐かしい思い出もある。

人生、太く短く生きるか、細く長く生きるか、と言う言葉がある。しかし、僕は大好きな讃岐うどんや、水沢うどんのように、太く、長く、ねばり強く生きたいものだと願っている。さて来年は、腰が入ったねばり強い生き方が、どれ程できるだろうか。

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