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 No.86

三輪 薫(みわ かおる)


No.86 「見ること感じること」/写真展 2002/1/6

写真展を観る楽しみには、オリジナルプリントが展示され、印刷による作品とは違った印象をうけることの魅力もある。写真は拡大して表現する世界。やはり作者がこの作品はこれくらいの大きさで見せたい、と言う表現の意思も伝わってくる。余程の印刷でない限りは、銀塩のプリントのほうが勝っている。だからトーンやグラデーションも豊で、写真の持つ他の分野との特性の違いもはっきりと伝わってくるのだ。魅力ある生のプリントからは、作者の美意識や息吹さえも感じられることがある。

音楽や絵画などもオリジナルがいい。今、静かなブームとなっているレコードなども、CDなどのデジタルの音よりも音域の幅が広く、オーディオによっては人が確認できない音域まで再生されていると言う。だから生の音に近く優しく聞こえるのだろう。アンプも真空管式がいい。スイッチを入れるとほのかな明りが灯り、徐々に明るさを増す。心に優しい音は気持ちを和ませてくれるのだ。しかし、今は我が家にはなく、いつの日か入手して、心行くまで聞きたいものと思っている。コンサートなどで聞く音には、本物の臨場感がある。耳だけではなく、身体全体で受け止める音があるように思う。写真も同じ。だから、僕の作品には臨場感を引き出すことを大切にしようと思っている。3月まで巡回中の個展「風色」には、下記のような文を添え、風が運んでくれた自然の色を画面一杯に引き出し、会場に臨場感を漂わせる作品を展示する。

『自然には光りや陰、風、音などによって醸し出される空気感と臨場感がある。無風という風、無音という音、光が見えない闇なども大切なものだ。写真の色も同じこと。色が確かに画面にあるからといって、本当の色合いを感じるとは限らない。カラー写真のモノトーンやモノクロ写真から受ける色の印象や感銘は、画面の奥底からに滲み出てくるものと思っている。僕の自然風景などを撮った作品のタイトルが、「風光」「風音」「風色」などと、風や音、色などの文字を多用するのはこのためである。森などの樹木を撮った作品は、「樹閑」「樹奏」などの文字を使うのは、ざわざわとした森の中よりも静かな空気感に包まれた木々の姿に惹かれるからであり、さわさわと風に揺れる木々の姿を見ていると、まるでコンサート会場で生の演奏を聞いているように感じるからだ。』

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