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 No.88

三輪 薫(みわ かおる)


No.88 『生きること』−31/生き様 2002/1/14

僕のプロ作家としてのデビューは、1976年に開催した個展「道道」(モノクロの画面比率[1:2]の心象風景)だった。当時は銀座のニコンサロンで個展を開催するのが夢であり、プロへの登竜門でもあった。上京した後、無事通り抜けることが出来、その後はルポ・都市・造型・花・自然風景など様様な被写体と表現に取り組んできた。写真家の活動は、往々にして同じ分野(被写体)と取り組むことがよいとされている。しかし、自分自身をさらけ出すために写真で作品創りを行っている者には、同じ分野の被写体だけを撮ることや、僕のような凡才には限りがあるように思っている。今は亡きピカソは同じ分野でも様々な被写体を描いているし、陶芸なども手がけている。池田満寿夫は版画家であるが陶芸、小説、映画など様々な分野でも一流の仕事で作品を創り、発表してきた。以前テレビで偶然見た「現代美術家・今井俊満氏」の生き方や生き様は多様であり、自分が歩んできた道が間違いではなかったことを確認できた。勿論、今井俊満氏は非凡な方ではあるけれど、自分自身の生き方への参考になったり今の生き方への自信に繋がったのである。

僕が生まれ育ったのは山間の小さな町であるが、何故か志望の工業高校ではなく、普通科の高校に入学してしまった。だからとは言えないが、希望と目標を失ったと勘違いしてしまった僕の高校時代は悲惨だった。しかも、同じ進学するなら東大とは言えないまでも、それなりの大学へと思っていた。しかし、自分の能力と受験勉強に明け暮れることへの疑問を感じて嫌気がさし、結果的には目標の大学入学には程遠いことになってしまった。高校卒業後は、親父が「塗師」をしていた関係で門前の小僧ならぬ弟子入りをし、4年ほど修行した。筋は結構よかったと思うのだが、到底親を超えられないと思い、興味のあった写真の世界へと足を踏み入れた。

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