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 No.96

三輪 薫(みわ かおる)


No.96 『生きること』/内部告発 2002/2/10

先日新聞を読んでいたら知人の記事が載っていた。「内部告発で26年間仕事も昇進もなかった串岡さんが会社に提訴」

富山県の運送会社に勤める知人の串岡さんが会社の不正を知り、28年前にある新聞社に内部不正告発した行方と訴訟に踏み切ったいきさつを報じた記事だった。「当時の運輸業界はヤミカルテルを結び、過当競争による運賃値下げを避けるため、客の奪い合いをしない業界内部の協定があった」。「客の信用を失う」と営業所長に迫り、次に当時の副社長にも直訴したが共に聞く耳を持たず「役員会で決めたこと」と一蹴された。公正取引委員会にも訴え、公取委は独禁法違反容疑で業界は一斉に立ち入り検査され、75年には国会でも問題になった。日本消費者連盟にも持ち込んだ。

しかし、「内部告発は社会のため、会社のためにもなる正義だと思った」結果は、「真意を説明しても、まるで相手にされなく」、退社を迫られても労組は無視、挙句は仕事らしい仕事もなく三畳ほどの小部屋での「隔離」の日々が続く。昇給・昇格もほとんどなく、再三、退社を迫られた。労働組合からも無視され、社内の宴会にも呼ばれなかった。現実の内部告発はいばらの道が待っていたと言う。毎日の仕事は『草むしり』や『布団の整理やストーブへの給油』と、仕事らしい仕事は全く与えられず、その小部屋で十六年半も過ごした。

串岡さんは義理の父母と妻と二人の子どもの六人家族で、子どもが社会人となり、会社を訴える決意をしたそうだ。これまで頑張ってこれたのは、ひたすら家族のためであったからだ。

このような生き方には賛否両論があると思うが、並大抵の意思ではできないことでもある。社員にとって「自分を守り、会社を守ることが家族を守るこのにも繋がる」のも現実の一面と考えざるを得ないからだ。奥さんからは『会社の追及はやめて』と言われ、義父からは別の就職先を紹介されても『間違ったことをしていない』と断り続けてきた。正義感を貫くのは難しく、大変なことである。ただ、そのような日々の中で85年から美術館等のボランティア団体に加わったことが心の救いだったが、それすらも横槍が入ったという。企業とはそのようなものだろうか。

雪印食品の事件でも、串岡さんのような人がいたら消費者も真面目に仕事に励んでいる社員も困惑することはなかっただろう。企業の不正は闇へと葬り去られ、発覚するのは氷山の一角だ。しかし、正義とは言え、串岡さんのような行動に出るのは余程の覚悟が必要だ。失うものがあまりにも大きすぎるからである。串岡さんにとっての28年間は一体なんだったのだろうか。理解を超えた人生だったと思う。

しかし、最後の救いは今回の訴訟に奥さんが同意してくれたことだろう。人によってはとっくの昔に離婚されていたかもしれない。奥さんも家族も偉いと思う。串岡さんは信念の人であるが、いつお会いしてもニコニコとし、忍従の人生を背負っているようには見られなかった。人のために尽くすのが好きな人で、親切を絵に描いたような方なのだ。しかし、心配なのは社会に出たお子さん達だ。親以上に強い信念で今の環境の中で生きる決意が必要になるかもしれない。リストラ時代、何が原因で退社を迫られるのか分からない。杞憂であれば良いが。

僕には到底このような生き方はできない。たった一度の自分の人生。家族のためとは言え、辛抱にも限界がある。いち早く方向転換を図っていただろう。ただ、このように考えるのは、僕が串岡さんよりも恵まれた状況や環境で暮らすことができたからだろう。周りの人達に感謝している。

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