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 No.98

三輪 薫(みわ かおる)


No.98 『生きること』/生きる信念と正義感 2002/2/23

人間誰でも正義感を持っている。しかし、串岡さんのように自分よりも大きな相手に向かって堂々と正義感だけで立ち向かうことは誰もができることではない。人間、弱い者ほど相手が強いと何も言えなく、何も出来なく、相手が自分よりも弱いと途端に強者となってしまうことがある。大きな会社の中の縦割りの人事構成では、強者と弱者の立場がはっきりしている。一時テレビのコマーシャルで放映していた若者のように、自分の意思と違うことを命令され、上司や監督に立てつくような態度はとてもとれないと思う。だから、観ている側は心地よさを感じるのだ。自分をこの主人公に置き換え、溜飲の下がる思いをしたり、自分もこのように素直になれたらいいと思った人は多いだろう。

串岡さんのような人生を歩めなくても、日常生活の中で正義感を働かすことや、働かさなくてはならないこともいろいろある。人としてのマナーなどもそうだ。電車の中で人に迷惑を掛けている人に注意をしたら殺されてしまった、と言うニュースが飛び込んでくると、うかつに注意もできないと思ってしまう。これも正義感は残っているのだが、発揮するには至らない例だ。注意できない周りの人達も情けない思いで一杯だと思う。もっと情けなく思っている人は勇気を出して注意した人である。周りの共感を得て、同調してくれれば救いもあり、問題も解決するが、「触らぬ神にたたりなし」では、本当に救いようがないのだ。911テロでは、勇気ある消防士達の多くが犠牲になっている。助けるほうも助けられるほうも地獄であっただろう。溺れている人を助けて、自分が助からなかった人もいる。薮蛇だが、美徳の一言で片付けられない、誰もが真似できないことである。

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