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 No.162

三輪 薫(みわ かおる)


No.162 『生きる』/本物志向-2 2003/1/18

日本の工業力は中小や零細企業が支えてきたと思っているが、バブルの崩壊後、次々と外国資本に大切なソフトまでも身売りされているような記事が目に付く。しかし、一方では音楽家やバレーなどの舞踊家の躍進も著しい。まだ、まだ日本も捨てたものではないと思う。これらの分野でも、以前は技術力は高いが、芸術点は低いと見なされ、評価されていた時代もあった。今は、この芸術点も高く認められるようになり、野球の分野でも大リーガーに挑戦し、評価を高く支持されている選手も多くなっている。これらは全てソフトの分野であり、今、日本が世界に向かって誇ることが出来るのは日本の文化であると思っているので、とても嬉しい。

しかし、徐々にではあるが誇り高き日本の文化が失われてきたようにも感じている。一部の人を除き、小さな時から音楽や美術などに携わる教育が軽視されている。受験勉強に必要な科目は重視され、そうでないものは無視同然ではないだろうか。美空ひばりは、譜面が読めなかったと聞いている。以前、子供の高校受験を考えてある学校を見学した。授業中だというのに、校庭などで寝そべっている生徒も結構見られ、唖然とした。しかし、音楽の参観をした時には、その進め方は感動もので、思わず心が震え、涙腺の締まりも悪くなってきた程だった。ここでは画一的な教育ではなく、生徒の個性や人間性が尊重されていた。実際に進学したのは別の学校だが、ここでは先生をスタッフと呼び、先生を「先生」とは呼ばず、名前でさん付けで呼び合っていた。考え方に違いはあるだろうが、教える側も教えられる側も人として同じである、と言う考え方なのだろう。全ての人を尊重する本物志向の心が支えとなっているような気がした。

写真を創る上にも言えることで、本物の作品は何時まで永く観ていても飽きなく、心の満足感も高いだろう。今売れるからとか、コンテストで入るからとの理由で撮るのは寂しいことである。目先の金銭欲や物欲の誘惑に負けず、本物志向の作品創りとは何かを考えて撮って行きたいものである。

先日、日本の写真界の最後の大物、秋山庄太郎先生が永眠された。先生が生き、活路を見い出した時代には、本当の本物志向で生きられたのではないかと思っている。よき時代に活躍した人達が少しずつこの世からいなくなってしまうのは寂しい限りである。

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