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 No.174

三輪 薫(みわ かおる)


No.174 『写す』/トリミング-2 2003/3/26

写真学校の授業で、折角プリントした作品をカッターでずたずたに切り刻まれたことが度々あった。その行為はショックだった。印画紙も十分に買えなく、その貴重な印画紙を折角時間を掛けてプリントしたのに刻まれることは身を切られる思いをし、フレーミングのアマさを感じ、またそのように撮りたくてもレンズを所有していなかったことが理由だった。だから、愛好家の方のプリントをフレーミングが良くないからと言って切り刻むようなことはしない。透明袋に入れたプリントにダーマトで指示している。そのトリミングも、原則としてその人が持っているレンズで撮れる範囲での指示を考えてしているつもりである。

写真上達の早道として、ノートリミング主義がある。しかし、35ミリ版でスクウェアサイズにプリントしたり、パノラマサイズにしたり、6×6cm判カメラで6×4.5判にする事を前提に撮る場合もある。この様な場合は、撮ってからトリミングするのではなく、撮る時にファインダーの中でトリミングを決めるとよいだろう。特にワイドレンズの場合は歪みが出て、画面の中心か上下のどちらかを優先的に使うかによって作画も変わってくるからである。あくまで撮る時のフレーミングを大事にしたいものである。

僕の最初の個展は銀座ニコンサロンで開催した。小型カメラで画面比率をハイビジョンサイズに近い細長い画面で表したものだったが、撮影時にファインダーの中の何処を使うかを決めて撮っていた。この時の写真展評がカメラ誌に掲載された。この記事を書いた評論家は作品内容は評価してくれたが、オリジナルのカメラで撮ったわけではなく、いい加減な行為だと非難した。この言葉は、いまだにはっきりと覚えている。この人にとっては小型カメラの画面比率の2:3は絶対的なものであったに違いない。だからと言って、撮る時に決めたフレーミングに従って表現した僕の姿勢が間違っているとは思っていない。

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