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 No.178

三輪 薫(みわ かおる)


No.178 『写す』/個性と才能-2 2003/4/20

僕が担当の写真教室・クラブ・主宰するワークショップのメンバー達は、僕の作品や作風が好きで集まってくる。だから最初は僕の作品と似た描写になるのは仕方がないし、真似ようと思って撮っているわけではなくても、僕の作品や作風が好きなのだから似てしまうのは仕方がないことと思っている。しかし、模写的とは言え、似せて撮るのは難しいと思う。複写的な撮り方なら誰でも出来そうだが、個性的な作風を真似るのは難しいからだ。特に自然風景や動植物では、誰が見ても同じように見える。それにも関わらず、同じ時に同じ被写体を撮っても、微妙に違ってくるものである。これが個性であり、各自の感受性や美意識などの違いである。しかし、世の中には誰が撮っても同じ様に見えるような描写を評価し、個性的な作風や描写をそれなりに評価しない不思議さがいまだに残っているような気がする。何故だろうか。

以前、生徒さんの個展申請をしたところ、審査に通らなかったことがある。僕が監修して、明らかにその人の個性が出た作品で、レベルも成り立てのプロよりも表現力がある作品と判断したのだが、僕の作風に似ているからと言うことが却下の理由のひとつだった。しかし、ある程度上手い人なら、誰が撮ってもこれくらいなら撮れそうと思う作品が審査に受かってしまう現実がある。僕からすると実に不思議な結論である。写真の世界も記録性だけではなく、絵画や音楽などと同様の表現世界の手段ともなりうるものと信じているからである。日本はカメラ王国であるが、表現世界に関しては、まだまだ遅れていると思わざるを得ないことだった。

そのような写真界の現実に風穴を開けたいと思っている。今日発売の隔月刊・風景写真5月号に、僕が主宰するフォトワークショップ「風」が4ページ掲載で、メンバーの作品と共に紹介されている。この「風」のメンバーが、ここ1年で3人が個展を開催し、1人が写真集を刊行した。もう一つアドバイスしているワークショップ「昴」のメンバー1人も個展を開催した。共に発足して数年だが、カメラ誌の編集長達も評価してくれる個性的な作品で、メンバーの活躍振りには驚いている。愛好家と言えども、作品を発表する以上はアマもプロもないと思っている。趣味は楽しくと言いながらも、作品創りには僕なりの厳しさでのアドバイスと、それを受け止めて真摯に努力したものが結実したからだろう。しかし、僕の立場としてライバルを養成しているのも現実である。だが、生徒さんに僕の上を歩ませるわけには行かず、自分には優しくと言いながらも、プロとしての厳しさを自らに与えている現実もある。だから、絶えず先を行く作品を創り続け、個展開催に邁進することになる。皆は口では言わなくても、じっと僕の生き様や作品を見ているから付いてきてくれると思っている。僕を慕ってくる人達に、何がしかの影響を与えられなくなったら、講師返上の時と思っている。

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