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 No.180

三輪 薫(みわ かおる)


No.180 『写す』/既成写真は何時まで続くか 2003/5/4

物事や心の内を表現する芸術には、先人達が創り上げてきた既成をもっと深めて行く道と、それらをことごとく打ち破って新しい表現を求めて行く道があると思う。写真もデジタル化が進み、従来の銀塩とは違った表現や作風が出てきている。

昨日は憲法記念日だったが、アメリカに尻尾を振る日本政府は、この国の憲法をシッカリと遵守しているかどうかはアヤシイ。しかし、現実的には世界のリーダーシップをとるアメリカに逆らわず、すり寄る姿勢は間違っているとも思えない悲しさがある。もし反旗を翻したら、日本などひとたまりもないからである。日本を、世界の日本として守るために、アメリカ寄りの決断をした首相は正しい判断であったとも言えるのが、悲しいのだ。

しかし、芸術などの分野には、このようなことを考えて行動しなければならないと言うことがないだけ、幸せなことかも知れない。しかし、巷には体制派の大樹の下に集う人も多くいるようで面白いが、現在進行中のデジタル世界が写真界を制覇したら、この様な人達の行く末は一体どのようになってしまうのだろうかと思うと、興味津々である。

表現世界は、時代と共に移り変わって行くのが常である。今日正しいことだと思っていたことも、突然的に違う判断をされることもあるだろう。そのようなことさえ頓着になく、何でもあり、いや、それすらも考えずに行動しているプロではない人達の行動パターンに興味が湧き、面白いと思う。デジタル世界に突入すると、今まで培ってきたプロならではのテクニックなど、自慢できないことにもなる悲しさも待っていることを自覚せざるを得ないのは、時代の流れとは言え、やはり残念である。

デジタル世界は日進月歩どころではなくなり、アナログ人間の僕などは戸惑うばかりである。しかし、嬉しいこともある。何でもOKと言う姿勢がいとも簡単に受け入れてくれる時代に突入していることだ。結果よければ全て良し。プロセスも大事なことではあるが、余りにも重視し過ぎた時代は、もう過去の遺物でしかないだろう。結果が先にあり、そのためのプロセスを選ぶ時代になっていることを、既成概念を包み込んだ先人達や、その回りに集う人達にも理解できる時がやっときたと思っている。

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