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 No.183

三輪 薫(みわ かおる)


No.183 『生きる』/眠れない夜 2003/6/5

最近、歳のせいか考え込んでしまうことが多くなってきたようだ。歳を重ねる毎に抱え込む事が多くなり、いろいろな仕事や所用の合間に気になっていたことなどが、ふと思い出したり気付いたり、浮かんできたりすることがある。もう、気になって、気になって、夜になっても眠れなくなってしまう。昼間はいろいろなことに追われ、それどころではなく、考え込むほどの心の余裕はないのが幸いだが。

 考え込むには理由がある。テレビを見ていると立派に見え、思えるような人が登場する。フト見ると年齢が僕と同じか少し下。時には、配偶者には素知らぬ顔で洗面所に行き、自分の顔を鏡に映してじっと見つめる、、、。宮沢賢治は、じっと手を見ていたが、僕は自分の顔を見ることになるのだ。ああ悲しい、そして嬉しい。何故なら、同年代の男達が余りにも立派で成功者が多い気がする。しかし、白髪頭の僕でさえ顔に関しては若く見え、テレビの人は老けて見える。誰だって、五十を過ぎれば年老いて見えるよりも、若く見える方に期待するだろうから。

しかし、考え込む理由はこんな表面的なつまらないことではない。自分の人生を映し出す自分が撮る写真のことである。最近、いろいろな所で発表されている写真を見ても、何だか心に響くものが少なく、自分の感受性が減退したり、心が貧しくなってしまったのだろうかと危惧しているからだ。これが一番怖い。しかし、部分的にではあるが、作者の姿勢などをさらけ出す個展会場で何度か見直しても、作品の良さや何を言いたいのかがよく分からない、何故プロであるのにこの様な作品を見せるのか、満足そうにしていられるのか、理解を超えた内容が目に付くからだ。

しかも、このような写真展に限って、作者は嬉しそうな笑みを浮かべて来場者と話し込んでいるから実に不思議なのである。この様な思いを抱き、しかし現実には僕の思いと逆のことがあると、ピントが狂っているのは僕の方で、何を基準にしたらよいかが自分では分からなくなってくる。だから、余計眠れなくなってしまう。しかし、写真の世界には薄利多売的に作品を世に出すほど、天才ではない普通の人なら内容は益々希薄になるはずだ。なのに、そのような人の作品(写真)ほど評価されているような現実を見ると、益々困惑してくる。何故なら、風景写真やファインプリントでアウトロー的な取り組みをしている僕の作品内容や取り組み方とは違うし、また現在準備中の18回目になる個展には、今までにはない最高の協賛を得られているからでもある。世の中は甘くなく、価値を認めなければ企業は一円も出さない現実があり、どちらがどうなのか、理解を超えることが多すぎる。

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