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 No.184

三輪 薫(みわ かおる)


No.184 『写す』/デジタルカメラ 2003/6/12

現在、販売されているカメラでは、銀塩フィルムを使うタイプのほうが遙かに少なくなっているらしい。そう言えば、最近のテレビコマーシャルなどで、銀塩タイプのカメラなど見た記憶がない。いつの間にかデジタルカメラや、カメラ付きの携帯電話になってしまった。この携帯電話に付いたカメラも、現在の最高で140万画素、今年中には200万画素が発売になるらしいと言われている。もう、そうなったらコンパクトカメラさえ必要でなくなる。記念写真の交換はもっぱら携帯電話でのメールが主流になってしまうのだろうか。僕らの年代以上の者には、何だか味気ない世の中になってしまうのではと感じている人も多いだろう。

ファインプリントなどの銀塩写真に拘りを持つ僕だが、デジタル写真への関心も高い。何故なら、表現手段としてのカメラは銀塩もデジタルも関係なく、自分が求める方向に沿っていればよいと考えているからだ。まず求める結果があり、そこに至るためのプロセスを選んでいるからで、銀塩では引き出せない部分も多い魅力タップリのデジタル分野である。しかし、僕は撮る人で自分では出力を行わないが、用紙によっては期待通りにプリントの調子が簡単には引き出せない難しさもある。また、何より次々と発売されるカメラを追いかけるのに疲れ果て、懐も寂しくなってしまう。

レンズ交換式のデジタルカメラは、結局毎年購入し、EOS10Dで3台目になってしまった。デジタル分野は日進月歩だから仕方がないと言えばそれまでであるが、画素数を追い求めたり、スペックの進歩で撮影しやすくなると、ついつい買いたくなってしまう。いや、新機種のほうが求める作画への満足感が高いから嬉しいのだが、あっと言う間に古くなって価値観さえなくなる悲しさを感じる複雑な気分なのだ。どうも、メーカーの誘惑する上手さが勝っているように感じ、負けてしまっているのは僕だけではあるまい。

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