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 No.186

三輪 薫(みわ かおる)


No.186 『写す』/今回の個展は銀塩ではなく、何故デジタルなのか 2003/7/6

日本の自然風景を撮り始め、20年を越えた。初期の頃には先輩達の作品を見て、風景写真とはこう撮るものだと、知らない内に思いこんでいたものがあった。例えば、露出値はフィルムの指定感度よりも高くセットして、尚かつアンダー気味に撮ること。しかし、風景を撮り進むにつれ、何故かフィット感が沸かなくなってきた。色にしても同じである。その頃に富士写真フイルム(株)から色鮮やかなベルビアが発売され、瞬く間に広がり、自然風景はベルビアでなければと言うような風潮にも似たものがベースになってしまい、今日に至っている。これは選択の一つであるはずなのに、いつの間にかコダクロームやエクタクロームからベルビア一辺倒になり、PLフィルターの常用も当然のようになってしまった。

色調の好みも個性であり、被写体そのままに色を再現するフィルムなどなく、微妙に違うからこそフィルムを選ぶ楽しさと、魅力もあると思っている。風景撮影の経験が多くなるに連れ、巷の体制派とは違った選択にフィット感を覚えるようになってきた。画家が自分の色を持つように、写真でも自分の色が見えてきたのだ。しかし、数銘柄のフィルムでは、あらゆる被写体や光や気象などの撮影条件で、自分が期待する色が上手く出てこなかった。そこで、フィルム研究が始まった。

幸いにして、若い頃日本の伝統工芸である漆の世界に身を置いて、メインの黒漆の色の変わり方を知らず知らずの内に身に付け、広告写真の撮影を行っている内に、微妙な色合いを見分ける力が備わってきた。それらがフィルム研究に役だってくれたような気がしている。作品創りの撮影が進み、区切りと問題点を解決するための個展開催を重ねる内、益々鮮やかな色彩より地味にも感じる色に、ドラマチックな情景よりも寂しげな趣のある出会いに惹かれていった。このフィット感のある描写は、東山魁さんの淡い色を幾重にも塗り重ねて創り上げた日本画の表現世界に似ていることに気が付いた。自分が目指し、心に響く日本の自然風景とはこの様な描写だったと確信を抱いたのだ。それから意識をもって作画に没頭してきた。

銀塩での印画紙は、時代の流れと共に銘柄が多くなるのではなく、逆に少なくなっていった。個展を重ねる度に日本画風の作風へと近づいてきたが、印画紙のマチエールから受ける印象には限りがあることにも気が付いた。銀塩は銀塩の世界に止まるしか、方法は見つからなかった。

考えたのは和紙にプリントすることだった。しかし、モノクロでは乳剤を塗ってプリントすることも可能だが、耐久性に問題があり、最高の状態を束の間にしか見られなく、長期間耐えないのは余りにも寂しく、カラーでは勿論無理で、断念した。ファインプリントに興味を抱いていたからである。

しかし、時代は進み、デジタルのインクジェットプリンタが目覚ましい進化を遂げていた。現在のプリンタは用紙だけではなく、CDや布などにもプリントが可能になった。幸いにも僕には、伊勢和紙の社長とは長年のお付き合いがあった。今回の個展は、不思議な縁で知り合った伊勢和紙の中北さんと、その縁の広がりによって実現した。僕が求める「写真で日本画を描く」世界。長期保存にも耐える、まさに顔料のインクジェットプリンタと和紙の組合せが、どんぴしゃりだったのだ。

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