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 No.188

三輪 薫(みわ かおる)


No.188 『写す』/デジタルプリントの可能性 2003/7/26

今回の個展「風香」を終え、改めて思ったのだが、近年のデジタル分野への目覚ましい進歩は、僕ら写真を撮り、写真で表現しようとしている者にとって、新たな表現を可能にしてくれる嬉しいことである。とかく、銀塩世界に惚れ込み、没頭していると、新しい分野への馴染みが薄いほど距離を置くことも多くなる。時によっては拒否反応さえ起きてくるかも知れないからだ。

しかし、今回の写真展は、デジタル世界の急速な進歩によって実現できたことは確かである。僕は自他共に認めるアナログの権化と自負している。しかし、自分の作品表現に関しては、アナログ世界にのみ拘るつもりは毛頭ない。写真に拘っているのは簡単な理由で、小説や絵画等の美術分野や音楽や演劇などには自分の能力のなさが身に染みており、残された表現媒体が写真であるに過ぎないとも考えている。つまり、自己表現できるなら、何でも良いのである。しかし、現実は厳しく、今の僕にとっては写真以外での表現、自己主張が出来ないでいる。考え方によっては淋しいこと限りないが、一方では結果として既成概念をうち破るような写真での表現への可能性の面白さも感じている。

そのような意味からして、今回の大型の顔料インクジェットプリンタと和紙を組み合わせた作品は、作者の僕から見ても新たな表現に出来たと思っている。和紙への出力は僕が最初ではないだろうが、時代の進歩で考えたのではなく、数十年前から今回の個展作品を想定して作画研究を怠らなく続けてきた一つの成果である。作品創りでの「インクジェットプリントと和紙の組み合わせによるオリジナル作品としてのファインプリント」は、多分僕が初めてと思う。何故なら、今回の作品の表現は、この組合せ以外では不可能だからである。銀塩のプリントでもかなり近い線まで漕ぎ着けることが出来たと思っているが、今回のプリントに引き出した描写とは、大きく違ったものであったからだ。

最近の写真展では、デジタルプリント展も多く見かけられる。しかし、僕が見た限りでは、どうしてもデジタルプリントでないといけないと判断できるものは少ない。銀塩ペーパーのほうが遙かに表現としての完成度が高くなるのではと思うデジタルプリント展も多い気がする。時代がデジタルをもてはやしていると言っても、デジタルプリントによって今まで培ってきた銀塩でのものより、より以上の表現に結びつくとは限らない。そのことに気付き、実行している作者や企画者がどれくらいいるだろうか。

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